オフィス岸井は、
公認心理師による信頼できるカウンセリング・ルーム
として
神戸新聞社のマイベストプロに登録されています。
コロナ禍で一時中断し、昨年度から久しぶりに再会した「現場のための投影法勉強会」の2025年度のお知らせです。
臨床現場で使われることの多い風景構成法、思春期の子供たちの思いを物語形式で語ってもらうMSSM(相互ぐるぐる描き物語構成法)や
言葉にできない思いを表現してもらう箱庭・コラージュなどのアートセラピーについて、今年度も勉強会を行います。
専門的な研修をご希望の方は、このブログ記事(クリック)を参考に、どうぞお申し込みください。
カウンセリング・オフィス岸井は、神戸にある、学校・職場・対人関係などにおける不適応やうつ・不登校・不安障害の問題でお悩みの方々の相談に応じる神戸の心理相談オフィスです
その他学校や職場の不適応や対人関係や生き方の悩みなどさまざまな問題や、やる気が起きない、周囲の目が気になる、集団に入れないなどの問題にも豊富な経験をもとにご相談に応じます。
社会的スキル・トレーニングやアサーショントレーニングなども用意しています。
詳細は以下をご覧ください。
大人のうつや様々な不安や悩み、神経症・大人の発達障害等からくる生きづらさや人間関係の問題などさまざまなお悩みにも対応いたします
特に大人の発達障害に関しては、ワーキング・メモリーや聴覚認知・視覚認知の弱さに対する「認知のトレーニング」を用意して、多くの方に「うっかりミスが減った」「聞く力や見る力が付いた」等の声をいただいています。
さらにご本人の問題だけでなく、ご夫婦の問題としてカサンドラ症候群などが問題になっていますが、ご夫婦の問題として一緒に取り組ませていただきます。
詳細は以下をご覧ください。
最近多い相談が「私はアダルトチルドレンではないか」という不安を持たれた方です。同時に抑うつ気分に悩まれたり、怒りの爆発・虐待等に結び付く状態で苦しまれています。
背景に過去の家族の問題、たとえばアルコール依存の親、被虐待の体験、機能不全家庭に育った不全感や自信のなさ、無力感や愛着障害なども影響します。
なかなか過去を振り返るのは辛いですが、立ち向かう勇気を出してご相談下さい。
詳細は以下をご覧下さい。
<うつ病や不安が頭の中から離れない時に>
うつ状態は単なる落ち込みという状態から、それが持続的に続き楽しみや喜びなどの感情が失われていくうつ病まで、いろいろな場面で見られます。
こういう時は、私は「のみ薬・ひと薬・ひにち薬」とお伝えしています。まず病院での診断や薬の処方の<飲みぐすり>を受けるとともに、人とのかかわりの<ひとぐすり>、そして必ず良くなることを信じて待つ<ひにちぐすり>です。
カウンセリング・オフィス岸井では<ひとぐすり・ひにちぐすり>を念頭に置き、ご一緒に取り組ませていただいています。
*面接に当たってのお願い
当オフィスでは1回限り、あるいは数回のみの面接はお受けしておりません。
あくまでも、ご自身の問題に取り組むため、原則として1~2週に1回の継続面接に限らせていただいています。
月に1回と言う面接も、効果の点からお引き受けしていません。その点、ご理解下さい。
*お詫びと訂正
なお数年前までは「初回無料」とお知らせさせていただいていましたが、現在は有料となっています。過去に書いた記
事やコラムではまだ「初回無料」の文言が残っていますが、申し訳ありませんが訂正させていただきます。
キャンセルは原則として1週間前までにご連絡ください。突然の体調不良や交通機関のトラブル、天候悪化等はもちろん考慮させていただきます。
それ以外のキャンセルに関しては、キャンセル料をいただくことになります。
ご注意ください。
言葉によるカウンセリングでは、カール・ロジャーズによるクライエント・センター・セラピー(クライエント中心療法)をベースにしています。
同時にユングによる深層心理学をベースにした会話や夢分析などによる心理療法を行っています。
C・ロジャーズ
言葉による面接がどうも苦手だ、あるいはイメージを用いた面接が有効だと感じた場合には、絵画療法・コラージュ療法・箱庭療法などのアートセラピー、あるいは夜に見る夢を持ってきていただいた夢分析などを行っています。
対人関係で「どうも自分の本当の気持ちを押し殺してしまいがちだ」あるいは「自分に自信が持てなくてなんといって良いかわからない」というような場合には、無理のない自己主張(アサーション)トレーニングを行います。
また発達障害の傾向があり、見る力・聞く力・覚える、思い出す力・集中して物事に取り組む力に弱さがあるという場合には、「認知のトレーニング・プログラム」を用意しています。
オフィス岸井は直接対面面接だけでなく、スカイプや電話による面接も行っています。これまで全国各地からスカイプ・電話による面接を実施してきました。
交通費もかからず、自宅にいても可能なため、遠隔地や周囲に相談していることが知られたくない場合にはどうぞご希望ください。
皆さんの興味関心のある、不登校・発達障害・アダルトチルドレン・ひきこもり・アンガーマネージメントなどなど、さまざまなテーマでショート・コラムを独自の視点からまとめてあります。 興味のある方はゼヒ!
☆彡こころを描いた映画や本の紹介コラムはこちら
「こころを描いた映画・本」について簡単な紹介ショート・コラムを載せています。
コミックや小説、映画など、もしかしたら興味を引く作品に出会えるかも知れませんよ。良ければ一度ご覧ください。
気の向くままに文章にまとめてみました。
何が、どうというわけでもないんですけどね。
もしお暇でしたら、どうぞ。
できるだけ毎週水曜・土曜日に更新をする予定です。
*これまでの全ての記事をテーマ別に検索して読めます。
⇒これまでのブログ全記事(検索もできます)
「お酒は95歳でやめた」日本最高齢111歳の男性、長生きの秘訣を語る (2025年7月13日掲載) - ライブドアニュース
こんな記事を見つけました。読んでみたところ、何とも言えないほっこりとした、うらやましい気持になりました。
現在国内最高齢の静岡県に住む水野清隆さんの紹介記事ですが、何より水野さんに聞く「長寿の秘訣」が素晴らしい。
「自分でもさっぱりわからんけど、何事もくよくよしないことだね。そしてストレスをためんこと、それが一番!クヨクヨしても始まらんで、すぐ忘れることだ」
素晴らしい!これができれば111歳にもなれるのか、と驚きとも納得とも感じ、恐れ入りますね。
「すぐ忘れることだ」この一言が自然に口から言葉となって出てくること自体が、うらやましいですね。
・・と思って、何気なく私の絵本の棚を見つめいていると…ありました!
「すぐ忘れること」の極意を描いた絵本が!!
田島征三さんの絵本
『ほら いしころがおっこちたよ ね、わすれようよ』偕成社
なんとまあ、年寄り向け(?)のこんな絵本があったのです。
普段は何をやっても失敗ばかりのおじいさん。
今日あまりに気持ちのいい天気なので、朝ごはんのために鶏小屋へ卵を取りに行きました。
おじいさんは今日はいい日にしよう!と気持ちよく鶏小屋へ行き卵を手に取ります。
❝たまごが われないように おじいさんは ざるのなかの たまごを ちゃんと みてあるきました❞
ところが、おじいさんは自分の足もとを見ていなかったので・・・・・・がしゃ~んと全部卵を壊してしまったのです。
あちゃ~~、ありますねこういう事。年がいったらうっかりミスが増えるし、そういう自分に落ち込んでしまうし・・・。おじいさんもしょんぼり・・。
しかしここからが素晴らしい。
❝「おお、そうじゃ」❞ と おじいさんは、あしもとのこいしを 一つ ひろいあげると なるべくあかるい声で こういったのです。
❝「ほれ、おばあさん! みてごらん、な、ここに いしころがあるだろ。さ、手をはなすよ」❞
いしころはぽとんと地面に落ちました。
そしておばあさんに向かって一言
❝「ね、わすれようよ」❞
おばあさんはおじいさんが何を言いたかったのかが、全部わかったというから、これまた素晴らしい!
そうです、
❝こいしが ぽとんと おちたときから おじいさんの ほんとの きょうが はじまったのです❞!
素晴らしい!
年を取るといろいろとうっかり忘れやミスが増えてきます。それは人にとっては大変つらいことです。以前できたことや、若かった時に年寄りをバカにしていた自分が今や同じことをしているショックは引きずる人は引きずってしまう。
こういう時にそれを乗り越える秘訣は「気持ちを切り替える」ことなのでしょうね。それは「すぐに忘れる」ことなのでしょう。
幸いにして、記憶力も落ちてきます。それを武器に、都合の悪いことはさっさと忘れてしまうのが長寿健康の秘訣なのでしょう。
私も、小石を一つ拾ってみましょう。
前回の終わりに「それでは私たちが生きている『この人生』は、合理的・科学的思考で組み立てられているのか、それとも魔術的・物語的思考の海に漂っているものなのか、どちらなのでしょう? あなたはどう思いますか?」という問いかけをさせてもらいました。
「魔術的・物語的世界」はこどもが生きている世界で、「合理的・科学的世界」は大人の世界だとすると、年齢や環境によって変わってくるのでは?と考えるのは理解できる考え方です。確かに一理あるでしょうね。ただしいろいろな人生経験を踏まえてくると、必ずしもそう簡単に割り切れない経験をすることがあります。
例えばここに一つの「嘘みたいな本当の話」があります。
<17万円>
私はフリーランスのグラフィックデザイナーだ。
十年余り続けてきて、ありがたいことにこのご時世まで仕事が途絶えることなく、何とか食べてきた。しかしながら今年の春先、どう手を尽くしても支払いができそうにない17万円ほどの外注費があった。借金はしない主義でやってきたし・・・かといってどこをどうひっくり返しても17万円もの大金が出てくるわけもない。
う~ん・・・と考え込んでいると、1年半前に仕事をしたっきりの取引先から連絡が入った。
「随分お支払いが遅れてしまい、申し訳ありません。一昨年作っていただいたパンフレットの制作費を先ほどお振込みしましたので、ご確認よろしくお願いいたします」
ああ、あれって振り込まれていなかったんだっけ?とネットバンキングで確認すると、17万円ほど振り込まれていた。
「嘘みたいな本当の話」 日本版 ナショナル・ストーリー・プロジェクト
高橋源一郎 内田 樹 イースト・プレス 2011年 より
この話を読んで皆さんはどう思うだろう?
「ラッキー!」「そんなことってあるんだ!」「自分にもそういうことが起きて欲しい」・・・・いろいろと思うでしょうが、いずれにしてもこのエピソードはいわば「嘘みたいなホントの話」であり「たまたま起きた偶然の出来事」なのでしょう。しかしその偶然の出来ごとが「なぜ、いま」起きたのかと考えてみても「合理的で科学的な説明」はできないのではないでしょうか?
皆さんの中にも同じような「嘘みたいな本当の経験」をされた方もいらっしゃるかもしれません。実はわたしにも同じような体験があります。このような「偶然」が訪れた時、人はその偶然に意味を見出そうとします。「偶然なのだけど、なぜ、いま、私にこういう偶然が起きたのか、何か意味があるのではないか」と思わずにはいられません。多くの場合、その意味は「希望」につながる内容が多いのですが、ちょうどバイキンマンにいじめられていたカバオ君のところに、「なぜかわからないけれど偶然」アンパンマンが通りかかるようなものなのです。
ユングはこのような「意味ある偶然」を「共時性(シンクロニシティ)」と呼びました。ユングの文章はなかなか難解でわかりにくいので、そのユングの共時性について書かれた著書(『ユングと共時性』創元社 イラ・ブロゴフ 2024 )の中で最後に故・河合隼雄さんが解説された文章から引用させていただきます。
故・河合先生はその解説文の中で次のような表を載せられています。
共時的事象というものを簡単に図にして解説されていますが、大変わかりやすいので引用させていただきました。
左図のA・Bと言うのは、ある「事象」を表しています。それは一般的には「因果律」で説明されることが多く、そういう意味では時間の流れに従ってある原因が次の新たな事象をもたらし生起していく説明がなされます。
例えばカバオ君がバイキンマンにいじめられている(A)、一方でAとは関係なく、アンパンマンは町のパトロールに出かけた(B)と言うような具合です。その時スマホでアンパンマンに「助けて!」とお願いしたのでアンパンマンが助けに行く、と言うような流れが起きたなら、それはそれで非常にわかりやすくしかも「時間の流れに沿って=継時的」に起きる事象であるわけです。
ところが物語の中ではそのような「因果律に沿って継時的に事象が起きていく」わけではありません。つまりなぜかわからないけれど、たまたまその時アンパンマンがバイキンマンにいじめられているカバオ君を見つけるわけです。そのような事象の関連を河合先生はタテの点線で「時間軸を横切って=共時性」を示され、その流れが「意味」を生み出す、という具合に解説されています。
そしてそこに「単なる偶然さ」で忘れてしまうのではなく、「なぜ、いま、ここで、こういう偶然が自分に起きたのだろうか」という「自分にとっての意味」を見出す「主体」の存在について触れられています。
つまり自分の人生の中で起きた出来事の意味を考え、自分の人生に練り込んで新しい展望を切り開く創造的な生き方の側面が「共時性」という考え方にあるという事なのでしょう。そしてその背景にユングは「希望の元型」というものが動いていると指摘したのです。
よく「生きる意味」などといますが、それは私たちの人生の中でもたらされる偶然がきっかけとなって浮かび上がってくることもあるのではないでしょうか? そしてその体験が人生に対する希望を生み出してくれる。17万円が振り込まれたグラフィックデザイナーさんの驚きの笑顔が目に浮かぶようです。
皆さんはそういう体験はありませんか?
人間は目の前の状況に不安や疑問を感じた時に、それを解消しようと思わずにはいられないようです。
そしてその解消の方法には大きく分けて、①合理的・科学的思考 と ②魔術的・物語的思考の二つがあります。どちらも物と物や出来事と出来事との「関係性」を説明する思考ですが、①が因果関係に基づく思考であり一方、②は因果関係に縛られない自由で時空を超えた共時的な考え方だと言えます。共時的とは「意味ある偶然」という意味で、「ある現象が何故だかわからないが、その時、起こるべくして起きる」という思考です。
例えば、町で遊んでいたカバオ君が突然現れたバイキンマンに襲われたとします。そこでカバオ君は特に誰かに助けを求めたわけでもないのに、なぜかそこには町の治安を守るためにパトロールしていたアンパンマンが現れます。何故でしょう?
現実の私たちの日常では、誰かにいじめられたり襲われた時に、警察官や正義のヒーローがたまたま通りかかってくれるということは、まず、ありません。警察官を呼びたければ119に電話するか、誰か周囲の人が通報してくれなければ正義のヒーローは姿を見せないのが普通です。
ところが、アンパンマンの物語では、「なぜかわからないけれど」そこにたまたまパトロール中のアンパンマンが通りかかる。
「何言っているの、そうでなければお話が続かないでしょ?」と言われるのはもっともで、物語の中では「なぜかわからないけれど、たまたま」次の展開が待っています。いちいち「なぜここにアンパンマンが現れたんだ?誰かが連絡したのか?だとしたら、どうやって空を飛んでいるアンパンマンに連絡が付くんだ、スマホを持っているのか? 」としゃくし定規に、合理的で科学的な説明を求めていたら、それこそお話になりません。
さらにアンパンマンがバイキンマンにやられて、顔が汚れて力が出なくなって落下していった時、「なぜだかわからないけれど」タイミングよく、バタコさんとジャムおじさんが現れて新しい顔をアンパンマンに投げつけてくれます。ここまで行くと、「そんなうまいこと、実際にはないよな」と思いますが、しかしそうでなければ物語が展開し、進んで行かないのです。
こういう「なぜだかわからないけれど、展開していく」背景にあるのが、②の「魔術的・物語的思考」と言われるものでしょう。
子供たちは言うまでもなく ②の魔術的・物語的思考で生きています。ドラえもんやポケモンも大人から見ればたわいもないお話かもしれませんが、彼らにとってはそこはまさしく今自分が生きている世界なのです。「なぜだかわからないけれど、世の中はきっと困った時には誰かが助けてくれる」という理屈ではない予定調和の物語の世界に生きている「のび太」や「サトシ」に、自分の身を重ねて生きているのです。
一方合理的で科学的な思考はどういう時に使われるかと言うと、例えば現実的で理屈に基づいた論文・実験などの科学的などには欠かせません。「何故だかわからないけれどこうなっている」事態を「なぜそうなるのか」合理的に説明しようというところに科学が進歩する余地があるのでしょう。ですから合理的・科学的思考は現実を認識できる大人の思考であるとも言えます。そういう意味では「現実はこどものお話のように甘くはない」のです。
それでは私たちが生きている「この人生」は、合理的・科学的思考で組み立てられているのか、それとも魔術的・物語的思考の海に漂っているものなのか、どちらなのでしょう?
あなたはどう思いますか?
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