障害とともに生きる

「障害とともに生きる」というテーマで、様々な障害について描かれた作品を勝手に取り上げてみました。もちろんこれ以外にもたくさんの作品がありますが、あくまでも岸井の知る範囲で、しかも岸井の好みでいくつかをピックアップしただけで他意はありません。

もちろん、作品の良しあしとは全く関係がありませんので、ご承知おきください。

肢体不自由・聴覚障害・視覚障害他を描いた作品

身体障害・聴覚障害・視覚障害をテーマにした映画や本・コミックもたくさんあります。それらをすべて取り上げるわけにはいかないのが残念ですが、もし興味があれば探してみて下さい。


父と子が挑んだトライアスロン

 

『グレート・デイズ! 

   夢に挑んだ父と子』


東京オリンピック・パラリンピックももうすぐ始まりますね。だからというわけでもないけれどこんな映画を紹介。タイトルは「グレートデイズ!ー夢に挑んだ父と子ー」

 

物語のストーリーをかいつまんで言うと、車椅子の少年とその父親が、ふたりでハンディキャップを乗り越えてトライアスロンに挑戦し、親子として真正面から向き合っていく姿を描いたドラマだということです。

こんなことできるのか、とお思いの方もいらっしゃるかもしれませんが、実際に父子あるいは兄弟で車いすを解除しながら完走された方々はいらっしゃいます。

 

動画を見ていただければわかると思うのですが、何しろ子どもの乗ったゴムボートをお父さんが泳いで引っ張り、次に子どもを乗せられるようにした自転車をお父さんが漕ぎ、最後は車いすに乗った子お父さんが押し続けてマラソンを完走するのです!

 

見ているだけでビックリしますよ。動画で取り上げられているのはDick and Rick Hoytさん親子のチーム・ホイト。感動です!!

 

もしかしたらこの映画のモデルかも。これが実際の映像!!

もっともこの映画や映像は障害を持つご本人を描くというよりも、父と子の絆、父親の愛情のストーリーと言うべきでしょうね。

光を失った子供たちの心に

        光をともす

『ミルコのひかり』


ある時遊んでいるうちにふと、バランスを崩した結果、暴発してしまったライフルによって視力を失ったミルコ。ほぼ光を失ったミルコは失意のもと、ある盲学校に入寮します。そこには多くの光を失った子供たちがおり、今でいう特別支援教育のもと日々生活を共にしているのでした。

 

この映画は実話に基づいています。

盲目ながら、映画の音響デザイナーとして活躍するミルコ・メンカッチがその人です。ミルコ・メンカッチは4歳の時に銃の暴発から視力を失ったとのことですが、当時の障害児教育は障害児と健常児に対しては全く別々の教育が行われ、あくまで最大目標は、治療教育であり、障害児の障害を克服あるいは軽減することが第一の目的だったのです。

 

しかし、1970年代に入り、ノーマライゼーションやインテグレーションの考え方が出され、現在で特別支援教育のバックボーンであるインクルージョン(全ての人々を孤独や孤立、排除や摩擦から援護し、健康で文化的な生活の実現につなげるよう、社会の構成員として包み支え合う」という理念)に発展していきます。そういう時代の流れを背景に見るとこの映画のテーマが良くわかってきます。映画の最後にも字幕で語られるのですが、イタリアではこの頃を最後に盲学校は廃止され、盲人も一般校で教育を受ける権利を手に入れたのでした。

 

さて、それはともあれ、この映画のストーリーは、視力を失ったミルコ達が、聴覚を頼りに効果音やセリフを自分たちで考えたドラマを作る過程が語られています。

 

何より自分達の想像力を自由に膨らませて、決して障害者として社会に適応することだけをもとめられる縛られた生き方に収まらない「希望のひかり」を手に入れた子どもたちの姿に感動します。

 

障害者が自らの努力で社会に適応することを一方的に求められる、という古い考え方ではなく、障害とともに生きる人も、そうでない人もお互いに距離を縮める共生社会が大切なのだ、ということをしみじみ感じさせる秀作でした。

「僕はなぜ補聴器をつけなければいけないの?」

『きれいなおかあさん』


*写真はAmazon より
*写真はAmazon より

この映画は息子の聴覚障害を巡って、親子の間で繰り返される心の葛藤を描いた秀作です。「この子は言葉さえ話せるようになれば普通の子なんです」「本当にこの子はどこも遅れていません。言葉だけなんです」という意味のセリフが特に映画の前半はたびたびお母さんの言葉として発せられます。本当に母親としての心からの訴えでしょう。

 

だから本当に誠心誠意息子に言葉を教え込みます。「私は勉強は得意ではありませんが、一文字ずつ3年間教え続けました」。しかし小学校の入学テストでは残念ながら落ちてしまうのでした。厳しい現実です。確かに言葉だけが問題な子どもがいるのは確かですが、その「言葉」を身につけるのに大変な努力と取り組みが必要なのです。ですから現実でも多くの親は本当に一生懸命、子供の将来のために努力されます。その姿は本当に頭が下がります。

 

しかし難しいのは、子ども本人にいかに自分の障害について自覚をさせるか、ということです。成長し次第に自分自身に気が付く年齢になった我が子に本当のことをどう伝えるか、親の悩みは尽きないでしょう。

 

そして級友に補聴器をからかわれた息子のジョン・ダーはお母さんに「なんで僕だけ補聴器をつけなければいけないの?」と問いかけます。この問いにお母さんは、悩みためらいながらもきちんと説明をしました。「あなたは他の人とちがうの。耳に障害があるから。わかった?」と。

 

この答えを聞き「ボク、怖い」と言ってお母さんに抱き付く息子に、母親は「怖くないよ、ママがいるから」と答えたのでした。障害と向き合わざるを得ない母と子を描いた場面がこの映画の全てを表しているのかもしれません。



少年はなぜ声を失ったのか

 

『あの日の声を探して』


基本的には戦争の悲惨さを描いた作品なのですが、この作品はむしろ戦争という悲惨な状況に巻き込まれて翻弄されていく子どもの運命を描いた作品です。その中心となるのが二人の子ども。一人ハジという名前の10歳前後の子どもです。ハジは幼い弟を抱きかかえながら息を殺して隠れている部屋の片隅から、両親が兵士にテロリストの疑いをかけられ、惨殺されていくさまを目のあたりにしてしまいます。

 

一方、その両親を笑いながら惨殺した若い兵士たちと悲しみに暮れる家族の表情をビデオカメラで映している若い男性。ビデオ画面にはその撮影者の男性の声が残っていましたが、どうも若い青年の様です。彼が誰なのか、そしてなぜ彼がこの場面をビデオカメラで撮影しているのか、それは映画の最後のシーンでわかります。それまではこのシーンに行きつくまでの青年の軍隊での過酷な日々を淡々と描いていくのです。

 

先に触れたハジはその光景に強い恐怖と衝撃を受け、その日その時から言葉を発することが無くなりました。誰から話しかけられても、哀しい顔つきのまま、黙っています。この表情が何とも言えず胸に迫ります。


『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』『どもるどだっく』


押見修造さんの「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」。吃音をテーマにした漫画です。実は私も小さい頃、吃音があり、人ごとではない作品だったのです。やはり他人の前で緊張が ものすごく、上手くしゃべろうとすればするほどしゃべれなくなる。本人としては大変つらいのですが、それを気にするとさらに辛くなる。しかし今は全くその傾向はありません。

 

もう一冊、絵本に「どもるどだっく」という作品があります。これは料理研究家の高山みなみさんの自伝的絵本。

吃音の人たちって、実は純粋すぎるほど純粋なために適当に生きるすべを知らない人たちなんではないのかな、って思うんですがいかがでしょうか?

 

「介護を受けるプロ」になることで、「介護のプロ」を育てる

『あなたは私の手になれますか』

『こんな夜更けにバナナかよ』


「今まで、私は何度『あなたはわがままね』といわれただろうか」

小山内さんの著書「あなたは私の手になれますか」の冒頭の文章。「こんな夜更けにバナナかよ」の著者、鹿野さんも夜中の2時にバナナが欲しいと言い出す『わがまま』な人でした。しかし考えてみれば『わがまま』と言うのは『自らの生き方を選択する意志』でもあります。

小山内さんはさらにこう言われます。

「障害が重くなればなるほど、人生の選択はできない。何を食べたいか、何を着たいか、どこに行きたいか、どんな勉強をしたいか選択する機会はない。楽しく服を着替えている時、こんなことができないことが一番重い障害なのだということに気づいた」と。


『障害者イズム 

  このままじゃ終われない』


*写真はAmazonより
*写真はAmazonより

「せっかく障害者にうまれてきたんだから、やっぱり選ばれたものとしてね、何か残してから死ねや、1個ぐらい」

主人公は、40歳を前にして自立を決意した3人の障碍者たち。そんな切迫した気持ちに背中を押されて、3人はそれぞれの自立を目指した」(DVDジャケットより)

そうなんです、3人とも脳性まひの重度障害者なのですが、その切実な思いとエネルギーのもの凄さ!そしてそのエネルギーを上回る現実の厳然たる壁に立ち向かい必死で格闘する6年間の姿を描いています。

この思いと現実を知らずして福祉や支援を語ることなかれ。

それにしても私は彼らに尊敬の念を覚えずにはいられません。是非一度ご覧いただきたい、彼らの生き様を。

「僕が触れるところ、すべてそこが世界になる」

『花に問いたまへ』


*写真はAmazonより
*写真はAmazonより

私の大好きな作品です。視覚障碍者の一太郎さんと、生活に疲れてささくれだった毎日を送る健常者の女性ちはやさんの展開するお話しです。

いわゆる穏やかで豊かな感性を持つ「人たらし」的魅力満載の一太郎さんの姿を見ていると、障害があろうが、なかろうが「やっぱ、人は人柄じゃなぁ~」と我が身を反省することしきり。

こんな作品を描ける、さそうあきら先生、好き!


『どんぐりの家』


*写真はAmazonより
*写真はAmazonより

これも私は大きく影響を受けた作品の一つです。欠かすことのできない名作。

 

聴覚障害と知的障害や自閉スペクトラム障害、あるいは身体障害などを併せ持つ重複障害児への特別支援教育(当時は障害児教育でした)やご家族の葛藤や苦しみを丁寧に、そして「障害」を描くのではなく、「一人の人間」を描いた名作です。

 

山本さんには「わが指のオーケストラ」や「遥かなる甲子園」など障害ともに生きる一人一人の生き様をテーマにした作品がほかにもあります。

 



さまざまな精神疾患を描いた作品

『精神』 


岡山県にある外来の精神科診療所「こらーる岡山」に通院するさまざまな人たち。

そこには「病」と共に生きる人、そしてその隣には「病と共に生きる人と共に生きる人たち」がいます。山本医師はそこに集まる人たちに淡々と、しかし同じ目線で隣にたたずむように診察を続けられていました。この映画の監督想田和弘さんは、何の解説も加えずにその様子を冷静に撮り続けます。「観察映画」といわれる所以です。

 

◆ある男性患者さんは

“世の中に精神病者に対する偏見があるのは仕方がないけれど、せめて自分で自分に対する偏見は持たないようにしたいと思った”

こう語る男性がいました。彼はこう続けます。

“自分の病気が軽くなって病識が出てくるようになると、健常者のことが見えるようになってくるんですが、そしたら健常者の中に問題のない、完璧な他人なんて一人もいないんですわ。じゃあ、自分はそういう健常者といわれる人たちの欠点を補っていくような働きをしようとこれまで生きてきました”

「正気」と「狂気」の違いは何なのでしょう?

◆また別の患者さんは

ある女性はうつ病に苦しみながらも生きてきたこれまでの自分の生き様を見つめて、次のような短歌を歌います。

“あたまなぜ 自分で自分をほめてやる よくぞここまで生きてきたな、と”

またある男性は、

“憂う人と書いて、優しいと読む”

と教えてくれました。

彼は本当に優しい笑顔で周囲の人を楽しませてくれます。

もちろん、その笑顔の裏には彼の苦しみが渦巻いているのでしょうが・・・。

 

◆山本医師は淡々と彼らの隣に居続ける

リストカットの目立つ手首を隠そうともせず、人に裏切られたと大量服薬し、泣いて訴える女性。

 

映画の冒頭で、その女性の苦しみを淡々と聞きながら、山本医師はティッシュを1枚手に取りました。そのティッシュを彼女に渡すのかと思ってい見ていると、山本さんはそうしませんでした。その女性には、自分の力でティッシュを引き出して、涙を拭くことが必要なのでしょう。

しかしその日が来るのはいつなのだろうか、と思わされたのも確かでした。それがいつなのかはわからないけれど、その日が来るまで一緒に待つことが大切なのかも知れません。

この映画はこういうさまざまな苦しみと共に生きる方々の素顔と、その方々と共に居続ける人たちの姿を淡々と写し続けたドキュメンタリー映画なのです。

◆最後に

ところが私は最後のエンドロールに、目を奪われました。

そこには「追悼」と言う文字があり、その下に今取り上げた何人かの方々の名前と写真が載せられていたのです。

 

何があったのかはわかりません。しかし亡くなったことだけは確かでした。

 

・・・・・・・・・・・

 

時にはもうこの世から消えてしまいたい、と思えてしまう時があるかもしれません。

しかし、人はやはり一人ではないということを思い出して下さい。

孤立無援、孤独と絶望の中にいると思われたとしても、最後まで自分の隣に居続けてくれる人を探す努力をして見ませんか?

 

『17歳のカルテ』


アンジェリーナ・ジョリーがアカデミー賞助演女優賞をもらったことで一躍スターの仲間入りをしたきっかけとなった映画ですが、内容はある精神病院に入院させられた境界性人格障害の主人公スザンヌ(ウィノ・ライダー)をめぐるお話です。

 

と言ってもこの主人公のスザンヌの行動はそれほど典型的な印象はありません。それより何といってもアンジェリーナ・ジョリーが演じる反社会性人格障害のリサのほうがある意味ずっと存在感があります。受賞もうなづけます。

 

17歳というのは、多感な青年時代という意味で象徴的な数字でしょうが、それにしても確かに年齢的な意味でひとつの節目に当たるでしょうね。

 

その多感な時期を精神病院の閉鎖病棟で過ごす様子を取り上げ映像化したと言うだけでなく、それまで精神病の代表格であった統合失調症やうつ病とは区別される人格障害や精神疾患が、映画になるほど社会問題化されてきたということを表しているという意味で、エポック・メイキングな映画であったといえるでしょう。

 

しかし、こういう映画を見ると、つくづく今の時代に生きると言うことは大変なことだなぁ、と思いますね。


『クワイエット・ルームに

       ようこそ』


映画「17歳のカルテ」を先に取り上げましたが、邦画でも同様のシチュエーションの映画があります。それがこの「クワイエット・ルームにようこそ」。

  

主人公は28歳のフリーライター、佐倉明日香。原稿の締め切りに行き詰って酒とともに睡眠薬をOD(大量服薬)し、気がつけばある精神病院の閉鎖病棟にある救急処置室(通称クワイエット・ルーム)に拘束されて寝かされていました。胃洗浄を行い、運ばれたということですが、本人は記憶がありません。

 

当時まだどちらかというと健康的なアイドルというイメージの強かった内田有紀さんが主役で少し驚いた覚えがあります。しかしこの映画の凄いところは、脇役で登場する、怪しくも魅力的な困った人々(入院患者さんだけでなく)の存在感がハンパじゃない、というところです。主人公佐倉の彼である売れない放送作家を演じるのが、宮藤官九郎さん。その子分が妻夫木聡。加えてハリセンボンの細い方、箕輪はるかさんも患者役で出演していました。

 

また妖しげな拒食症の女性を演じるのが蒼井優さん。そして驚くような迫力で人格障害を演じ(?)きった大竹しのぶさん。

それ以外にも、昔患者に鉛筆でクビを刺され、死に掛けた体験を持つ鉄の看護婦にりょうさん。これも、あ~そういえば、絶対友達になりたくないような猛者の看護婦さんているよな、っていう感じ。

 

・・・ということでほめて(?)ばっかりですが、私は気に入っている「面白うてやがて哀しき」一本です。

 

『フランキー&アリス』


場末のストリッパーフランキーは時折何かのキッカケで自分が自分で無くなる体験をします。「どうもおかしい。自分が買った覚えのない服がドレッサーにいくつもある」と気が付いたフランキーは混乱します。そりゃそうでしょう、私たちだって買った覚えのないものが家にあれば「だれだ?こんなもの持ち込んだのは?」といぶかしく思いますよね。しかし他に誰もこんなことをする心当たりはない。おかしい。

 

ある夜、再び記憶が飛んだフランキーは病院に搬送されることになります。そこで精神科医 オズの診察を受けますが、最初はドクターも半信半疑でした。しかし色々と話を聞くうちに、フランキーの症状を 解離性同一性障害と診断したのです。驚くことに、フランキー自身は黒人であったのに、その別人格は“アリス"と名乗る、凶暴な人種差別主義者の白人。もう一人は「天才」とあだ名をつけられた小さな女の子。

 

解離性人格障害とは、主人格であるご本人が受け入れることのできないような過酷な状況を、別人格という形に分離して何とか切り離しておく対処戦略だと言えるでしょう。そこまでしなければならない背後には様々な辛い状況が予想されます。

 

このフランキーにオズ医師は催眠療法を施し、過去の辛い体験を思い出させ、受け入れていく治療を施していきます。ここらあたりは実話に基づいているので、大変リアルでした。もちろん映画ですので、すべてが実話だとは思えませんが、この障害を理解していくのは大変参考になる映画でした。


『セブン・サイコパス』


「事実は小説より奇なり」と言う言葉がありますが、サイコパスが登場する映画の脚本家が、自分で考えたキャラクター通りのサイコパスに実際に悩まされるというストーリー、「セブン・サイコパス」

 

いや、悩まされる、どころではありません。なにしろ相手はサイコパス。猟奇的な殺人やあくどい犯罪を起こしても、全く良心が痛まない。これは怖いですよ。漫画や小説の中でグロなストーリーがあっても、それはそれで非日常の冒険ですが、それが目の前に現れるとしたら、まぎれもなくホラー。それが何と7人も。

 

次々と悲惨な過去からこころのバランスを崩したのか、殺人を犯しては死体を切り刻む夫婦の二人。娘を誘拐して残虐非道に殺して服役した男。そしてその自分の娘を殺した相手を追い詰めて自殺へと追い込む、死神のような男。ギャングの親分で、自分の犬のためなら迷わず人殺しをする男。

その親分の犬を誘拐して、最後はギャングたちと銃撃戦をして死ぬことを楽しみにしてその通り死んだ男。ベトナム人の仏教徒で戦争の恨みを晴らすためにアメリカ退役軍人の会に、女性を自爆テロさせるために追い込む男。

 

こいつらが、それぞれ「自分はまともで、アイツらはサイコパスだ、やれやれ」と思い込んでいるわけです。こっちが「やれやれ」と言いたくなる面々ですが、やっぱり、現実では決してこの手の人とは友達になりたくないですね(^^;)



知的障害・発達障害を描いた作品の数々

ここでは知的障害・発達障害を描いた作品を取り上げます。昨今の流れの中で特に発達障害を描いた作品は、沖田×華さんの作品をはじめわんさかありますね。当事者が書いた本もたくさん本屋に並んでいます。その中でいくつか紹介します。他にもたくさんあるので、みなさんいろいろと探してみて下さい。

なお当然のことながら、ここに取り上げた作品は岸井の好みで勝手に取り上げたもので、作品の良しあしとは全く関係ありません。


『湯上君には友達がいない』


*写真はAmazonより
*写真はAmazonより

私は湯上君の大ファンなんです。こだわりとマイペースの一直線。彼の辞書には「空気を読む」というフレーズはありません。私はこの湯上君と、アメリカの「ビッグ・バン・セオリー」というテレビ番組の登場人物「自称天才物理科学者」でアスペルガーのDr・シェルドン博士が大好き!わかる人にはわかる、わからない人にはわからない話でした。

もしあなたが「わかる人」なら私と気が合うかも。


『メアリー&マックス』


*写真はAmazonより
*写真はAmazonより

アルコール依存の母親と鳥の剥製作りに没頭する父親という機能不全家庭に育ったオーストラリアに住む8歳のメアリーはヒョンなことからアメリカに住む40歳のマックスと文通を始めることになります。マックスはアスペルガー障害とともに生きる男性で、いつも自分を取り巻く世界に違和感を感じながら一人で苦しんでいました。

 自分の世界に閉じこもっていると言う点以外、どう見ても何の共通点もないような二人なのですが、文通はなんと断続的に20年も続きます。その間さまざまなエピソードや二人のそれぞれの生き様や葛藤が描かれるのですが、同時にユーモアに満ちた優しさを持っているクレイアニメの秀作。  

『ニトロちゃん』


*写真はAmazonより
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沖田×華さんの自伝コミック。私は沖田×華さんの漫画の大ファンです。

「毎日やらかしています」シリーズや「透明なゆりかご」「蜃気楼家族」「ガキのためいき」「ハザマのこども」などなど愛読書です。


『ちーちゃんは

   ちょっと足りない』


*写真はAmazonより
*写真はAmazonより

天才阿部共実さんの快作「ちーちゃんはちょっと足りない」。

「足りない」どころか、阿部さんの「ちょっと足りない」ちーちゃんへの「愛」があふれています。

私の大好きな作品の一つです。

 

阿部さんには「月曜日の友達」という名作もありますよ。どうやら私の家の近くに住んでいるのかな?背景が見たことある景色なんです。

これもじ~んとくるファンタジックで思春期の甘酸っぱい年ごろを描いた名作です。

『プロチチ』


*写真はAmazonより
*写真はAmazonより

これもびっくりしたコミック。アスペルガーの父親がこだわりと理屈で「プロフェッショナルな父親」に。さらに驚くべきことはこのコミックをベタボメした人たちがいたこと。

 

「『説得力がすごい!』子育ての大変さ、楽しさ、難しさを見えないたくさんの読者と共有出来る育児バイブルです」

衆議院議員 小渕優子

 

「子育ては自信を成長させ、人生観・仕事観の変革へとつながる。それぞれの方法で関わり、楽しもう。ここに一つのカタチがある」広島県知事 湯崎英彦      (二人とも肩書は当時のもの)

 

な、何なんだ、この肩書とベタボメのフレーズは!?

 その理由は本を読んだらすぐわかる!!


『ちづる』


大学生監督が、知的障害と自閉症とともに生きる妹ちづるさん、そして彼女をいとおしく思いながらも格闘する日々を送るお母さんを撮った作品「ちづる」。妹に対する母の愛、兄の愛が伝わってきます。

 

もちろんそれだけで済むわけがなく、ちづるさんをめぐるご家族の葛藤や日々の格闘の姿をありのままに描いています。ぜひ一度ご覧いただきたい作品の一つです。



『ぼくと魔法の言葉たち』


2歳になって突然言葉を失い、周囲との交流も途絶えてしまったオーウェイン少年がディズニー・アニメのわき役のキャラクターのセリフを通じて再び周囲との交流を取り戻します。そしてそのオーウェインを取り巻く家族の様々な思いと大人になって自立していくオーウェインの日々をまとめたドキュメンタリー映画です。

 

突然何も話さなくなったオーウェインが、ディズニーアニメを通じて少しずつ家族と会話するようになり、やがて自立するまでの過程は、もちろん個人差はあるとはいえ大変希望が持てる記録ではなかったと思います。


『彼女の名はサビーヌ』


昨今でこそ「自閉スペクトラム症」という障害が認識されてきましたが、昔は自閉症というのは「早発性痴呆」だとか「若年性統合失調症」である、という認識がなされていました。1970年代から、別の疾患だと認識されてきましたが、主人公のサビーヌは自閉症という明確な診断をされずに、精神病院に入院させられていたのです。このDVDでは、まだ入院生活の後遺症の残る彼女と、以前のような活発で自由に振舞っっていたサビーヌとの対比を記録映像として作り上げています。

正直、見ていてこころが痛みますが、彼女は「自閉症」や「統合失調症」の患者ではなく、一人の人間なんだということが伝わってくる映画でした。


『僕の歩く道』


*写真はAmazonより
*写真はAmazonより

これはテレビ作品ですが、主演の草薙君がとても自然に自閉症を演じているのでびっくりです。同じく昔のテレビ作品で、ともさかりえさん主演の「君が教えてくれたこと」と言うのもありましたね。たしかあっちはサヴァン症候群だったかな。全部見ましたよ。私はともさかさんのファンでもあります。

 

自閉症ご本人をめぐる家族や職場の人たちの様々な思いや個人的な葛藤まで、広い視野で描かれた作品です。興味があればぜひ一度ご覧ください。