なぜそれをやめられないのか?           現代の病としての「依存」の心理          ~自己治療仮説とハームリダクション~

最近薬物依存で逮捕される芸能人がたくさん出てきています。いわゆる「アディクション(依存)」はアルコールや薬物がやめられなくなっている状態を指しているのですが、しかし「やめられない」という点においては他にも沢山の「やめられない人々」がいるのも事実です。たとえばギャンブル依存、買い物依存、仕事への依存(ワーカホリック)などだけでなく、最近では摂食障害やゲーム依存、万引き(クレプトマニア)、性的な加害行為、あるいは虐待などもある意味「その行為をやめたくてもやめられない」という意味で行為への依存であると言ってもいいかもしれません。特定の物質などによる「物質依存」だけでなく、行為などの「プロセス依存」も含め、「やめられない」病は現代の大きな問題の一つだと言っても良いかもしれません。

『やめられない心 毒になる「依存」』           (著:クレイグ・ナッケン 訳:玉置悟)を読んで

 私のもとへは色々な相談が舞い込みますが、その中で「これは依存としてとらえた方が良いのではないか」と思うようなケースが増えています。私自身は薬物依存などを専門としているわけではないので、どちらかと言うと「行為への依存」が多いのですが、たとえば、ゲーム依存の子供たちの両親からの相談、性的加害行為、あるいはリストカットなどの自傷行為や虐待がどうしても止められない、と言う悩みなどがそれに当たります。

 

 こういう悩みの相談に当たっているうちにクレイグ・ナッケンの著書「やめられない心」を読みました。

著者のクレイグ・ナッケンさんはアディクション専門のセラピストだということで、大変参考になったのですが、その解説を読んでいると私が関わっている多くのクライエントの心理に対するヒントが得られました。もちろん他の著者の依存症の心理の本でも同様のことが指摘されているのですが、現代の多くの問題に「アディクションの心理」を踏まえた理解と取り組みが有効であると感じています。

1.依存とは「幸福感を得ようと無理やり自分をコントロールしようという企てである」

 まず彼の説明を読むと依存と言うのは、「本来日常生活の中で自然に感じる幸福感や心からホットできる安堵感を無理やり手に入れようとする企て」であることがわかります。もう少し具体的に言えば「何かのアディクションに冒された人が、その対象となる化学物質を使用したり、対象となる行動をするのは、それによって自分が望む“気分の変化”を自分の中に作り出したいという欲求」に基づく企てであるということです。

 

こういう考え方は後で述べる「自己治療仮説」と言いますが、依存に陥った人々を「意思が弱い」「どうして我慢できないのか」というような見方をするのではなく、「人に癒されず生きにくさを抱えた人の孤独な自己治療」(後掲「ハームリダクションアプローチ」 著 鳴瀬暢也 p.30 )の結果であると理解する必要があるのではないでしょうか。

 

 ただし、このアディクションによって得られる幸福感は、本来は自分の日常生活の中で自然に得られるはずの幸福感ではなく、なんとかしようとあがいた挙句に「自分の意のままに満たそうとする渇望」であるということでしょう。逆に言うと、やはりそこには日常生活の中で自然に満たされない幸福への飢餓状態が背景にあるということなのです。

 

 薬物依存やアルコール依存など、様々な依存症はその表面に出てくる依存対象や行為ばかりが取りざたされますが、それはいわば日常での満たされなさの反転である、ということに目を向けていかないと真の解決に至らない、ということだと思われます。これはアディクションに限らず、自傷行為やDV、虐待なども含む様々な問題行動の理解と共通するところがあります。だからこそ現代社会の問題であるとも言えると思います。

2.「アディクション人格」と「手順が決まっている行動」

 良く昔からアニメなどで描かれるシーンに「こころの中には悪魔と天使が住んでいる。悪魔のささやきを受け入れるか、天使の忠告を聞き入れるかで心は常に揺れている」と言うのがあります。確かに悪の誘惑に負けそうになったり、良心の呵責で立ち直ったりと言うことは実感するところです。著者は依存にはまった人の心の中の悪魔を「アディクション人格」と呼び、それに抗う「ノーマルな人格」との葛藤が起きていると言います。そして最初は「こんなことをしていてはいけない」とノーマルな人格も戦いますが、次第に「アディクション人格」に押し切られてしまうのです。

 

 そしてその後は「ノーマルな人格」が本来の自分自身をコントロールする力を失い、「こんなことをしているのは私だけじゃない」「どうせ自分はこういうダメな人間なんだ」と言うような言い訳の自己正当化やあきらめにも似たなげやり感が心を支配してしまいます。この段階になるともう行動は「アディクション人格」に支配されて、いったんスイッチが入ると手順の決まった行動をしてしまうようになるのです。たとえば「過食の人は食べ物のことばかりが頭に浮かぶ」「性的なアディクションの人は他のものをすべてしのぐほど強い性的な欲求に突き動かされる」などのように、気が付いたら頭の中が依存物質や依存行為で一杯になっている状態です。ここから実際に物質を摂取したり、行動に走らざるを得なくなり、もう引き戻せないのです。

3.アディクション行為の魔法が消え失せ、それがゆえにしがみつかざるを得なくなる

 当初アディクション行為や物質は束の間の幸福感を与えてくれる存在だったのですが、この段階まで来ても決して彼の本来の人生に幸福感は回復することは期待できません。なぜならそれらがもたらす幸福感はあくまでも一時的な幻の幸福感だからです。しかしたとえ幻であったとしても一度味わった幸福感は忘れらません。

 

それが故に一時的な気晴らしの幸福感だったものが、次第にそれであっても手放すことができない存在となり、今度は逆にそういう物質や行為にしがみつくようになります。ここまで行くと逆にそれらに支配されるようになってしまうのです。本来ならば自分の現実の人生の中で手に入れるべき幸福感を、束の間他のもので満たしていくうちに、今後は逆にその物質や行為に支配されしがみつき、逆に現実的な不幸を引き寄せてしまう。依存と言うものに至る心理はこのようなものだと著者は語ってくれます。

現代の病としての依存・やめられない行為への対応

 さてここまでクレイグ・ナッケンの著書をもとに依存の心理を見てきました。もちろん依存には最初に述べたとおり、薬物やアルコールなの物質依存だけでなく、摂食障害・性加害行為・ギャンブル・万引き(クレプトマニア)あるいは自傷行為・虐待なども幅広く含めた「プロセス依存」も取りざたされています。それだけに「現代の病」と言ってもよいかも知れません。ですから依存に対する対応策は今後大変求められてくるでしょう。

 ただ物質依存とプロセス依存とではやはり内容が異なる部分もあり、それぞれの症状に応じた対応が必要なのは言うまでもありません。それを踏まえてここでは私自身の取り組みをいくつか簡単に紹介したいと思います。

1.依存は「自己コントロールの企て」である ~自己治療仮説~

依存 ハームリダクション オフィス岸井
<写真はamazonより>

 先にも書きましたが、そもそも依存とは「幸福感を得ようと無理やり自分をコントロールする企て」であると考えられます。そうであるならば、依存する対象が何であれ、その対象にこだわるアプローチよりは、その背景にある「その人の生きにくさ」や「ストレスフルな生活」そのものへのアプローチこそが根本的な解決に至るだろうと考えるのは自然ではないでしょうか。

 

 薬物やアルコールなど物質依存にはそれ自体の誘因があるとしても、やはり背景にはそれにのめり込まずにはいられない「生きにくさ」や「ストレス」があると思われます。そしてその問題を何とか自分なりに対処しようとして依存が始まるのだ、と言う考え方を「自己治療仮説」といい、依存すること自体への厳罰主義でなく、「その人の生きにくさや生活そのものへの支援」をするアプローチに「ハームリダクション・アプローチ」と言うのが脚光を浴びてきています。

 

 私は薬物やアルコールなどの物質依存の専門家ではなく、自傷行為や性加害、虐待も含めた行為・プロセス依存に対応することが中心ですが、行為依存・プロセス依存の場合でも確かにその背景にある生きにくさがあり、彼らなりにあがく姿が行為の中に見えると、やはり「自己治療仮説」というスタンスに立って理解・対応することが必要だろうとではないか、と感じています。 

2.依存する背景にある生きにくさへの支援 ~ハームリダクションと言う考え方~

ハーム(被害・危害)リダクション(低減・軽減)という訳が当てられます。しかしこれは依存(たとえば薬物やアルコールなどにしても自傷行為や万引きなど)をやめさせることを直接の目的としたアプローチではなく、「やめさせないようとしない依存治療」であると言われています。ここからわかることは依存対象や依存行為を対象にするのではなく、背景にある「依存せざるを得ない問題」を治療するということでしょう。そうすれば結果的に依存症自体が低減あるいは依存自体が必要なくなっていく、と言う考え方です。

 

「ハームリダクション」(著者 成瀬暢也)によると「ハームリダクションの考え方の最も重要な点として『その人の薬物使用の有無にかかわらず、その薬物が違法か否かにかかわらず、その人の困っていることを支援すること』『薬物をやめさせることを支援するのではなく、その人の生きにくさ、生活そのものを支援すること』」(p.6)とあります。この考え方は薬物依存だけでなく、多くの嗜癖・依存的な状況で苦しんでいる人たちの支援となる考え方だと思います。たとえばリストカットなども同じでしょう。

 

もちろん薬物やアルコール、自傷行為など比較的自己完結型(実際には周囲の人々やご家族の苦しみは言うまでもないのですが)の問題行動だけでなく、万引きや性加害などの他者に被害が及ぶ問題行為の場合はそうとばかりも言っていられないだろうとは思いますが、しかしそれにしても背後に抱えている問題に目を向けなければ解決は望めない、という意味では共通する考え方だと思います。

 

「依存症の飲酒や薬物使用と同じく問題行動は、「いけないこと」「やってはいけないこと」としてネガティブな感情を持って対応されがちである。その際、病気であるという認識は薄れている。頭では病気であると言いながら、問題行動は罰せられる。問題行動は排除すべき『悪』ではなく、共に改善を目指す『症状』である(前掲書 p.186)という言葉は肝に銘じたい言葉です。

3.手順が決まっている行動にどう対処するか ~「条件反射制御法」の取り組み~

依存 条件反射制御法 オフィス岸井
<写真はamazonより>

 次に依存の心理として、クレイグ・ナッケンの指摘する「手順が決まっている行動」にどう対処するか、について「条件反射制御法」について簡単に紹介します。詳しくは右掲の著書を読んでいくのが一番ですが、ごく簡単に私の理解したことを説明すると、条件反射制御法とは「『梅干を食べれば、次第に梅干を見ただけで唾液が出てくる』というように、ある条件反射(有名なパブロフの犬の、アレです)が成立してしまうと人の意思では簡単に止められない。同じように依存者はある状況が頭に浮かんだだけで、条件反射的に依存対象に手を伸ばして一定の手順が決まった行動に移ってしまう。その出来上がった条件反射を意図的に、できるだけ別の条件反射へと塗り替えていく方法」だということができます(創案者の平井先生、間違っていたらゴメンナサイ)。

 

 その第一ステージとして、たとえば「万引きしたい」という気持ちや考えが頭に浮かんだ時、すぐにたとえば「私は、万引きはしない!」などというフレーズを、その人なりのキー・アクションを添えて自分言い聞かせていく、と言う方法です。第2~第4ステージへとまだ続きはあるのですが、この第1ステージだけでも本気で取り組めば(何せ一日20回、通算200~1000回と言うのですから生半可な気持ちでは続きませんが・・・)効果は望めるということです。

 

何人かの方にお勧めすると効果のある方もいれば、途中で続かなくなる方もいらっしゃいます。私は依存症ではありませんが、何かの考えが頭に浮かんで苦しい時はこの方法をトライしてみます。すぐに効果があるというわけではありませんが、コツをつかめば確かに効果はあると思っています。

 

 ちなみに私の場合は、「考えるのをやめろ!」というキーフレーズと一緒にキーアクションをした後、周りを見渡して周囲の景観の中から「〇・△・◇・□・➡」の形のものを探したり、「青・赤・黄色・緑」の物を見つけようとしてみたり、目を閉じて聞こえてくる音(電車の音や車の音、風の音、小鳥のさえずりなどなど)を聞き分けたりしながら、最後に「自分にとってうれしかった出来事や自分の得意なことなど、ポジティブな思い出」を頭に浮かべる努力をします。すると自然にさっきまであったネガティブな考えが減じていることに気が付きます。みなさんも一度トライしてみてはいかがですか?

4.アディクション人格のささやきかけにどう対処するか ~認知行動療法の取り組みの工夫~

 最後にアディクション人格のささやきにどう対処するか、ということですが、これについてはやはり悪魔のささやきに対抗する「本来のノーマルな人格」を育てていくということになると思います。これに関しては色々なアプローチがありますが、私は今のところ認知療法的な取り組みを行っています。とはいっても、いわゆる認知行動療法は行き詰った考え(自動思考)を「認知のゆがみ」というような表現で、どちらかというと否定的なニュアンスで説明しています。つまり「あなたは間違った自動思考をしている。だから健全で合理的な考え方に変えなければいけない」というニュアンスに私には感じられてしまうのです。

 

 これでは1.で説明した「依存をネガティブにとらえない」というとらえ方とは少し異なります。そういう考え方をせずにはいられないというのは、過去の境遇や経験が今の自分を形作っているからだ、というある意味精神力動的な考え方での取り組みを適切に入れ込みながら、「あなたが今の考え方に至ったのはそれなりに理由があるだろう。まずはそこを整理していこう。その上で今の生き詰まった考え方から少し現実的で論理的な考え方に変えていこう」と認知行動療法的なアプローチを入れていくという工夫が必要なのではないか、と私は思っています。

 

虐待やDV、自傷行為などがやめられない人の多くに、過去の辛い経験が影響していることはよく体験します。それを考えるとそう簡単に自分の自動思考を書き換えることなどできないでしょう。ハームリダクションの立場に立って、ご自分の経験をカウンセラーと一緒にふり返る時間を持ち、自分なりの過去の整理と感情の処理をすることがあってこそ、今の自分の自動思考を意図的に書き換えていく前向きな勇気が出てくるのではないか、と私は感じています。

最後に

「自己治療仮説」「ハームリダクション」などは、依存対象や依存行為を直接の対象にしないという意味で、表面だけを見れば誤解されやすいアプローチではないかと思われます。たとえば海外で行われているハームリダクションの取り組みを見ると、カナダのバンクーバーでは不衛生な環境で注射をしてきた薬物依存症の人たちのために安全で衛生的な「注射をするための部屋」を設置し、効果をあげているようです。この部屋では、①看護師が常駐 ②清潔な注射器に交換 ③安全な使用方法の指導 ④福祉や医療サービス紹介 などが行われているそうですから驚きです。(詳しくは以下のリンクをご覧ください)

注目される薬物依存への“寛容な政策”

 

具体的な取り組みを見ると確かに誤解や議論を生みそうなアプローチではありますが、最初にも述べた通りその考え方の根本には次のような考え方があることを覚えておきたいものだと私は考えています。

 

“道徳や性格の問題として叱責したり、懲罰を与与えたりしても病気は回復しない。依存症は回復しない。依存症は病気である。病気を懲らしめてもよくはならない。むしろ悪化するであろう。問題解決のために必要なのは、治療であり回復支援である。” (「ハームリダクション」p.16)