不登校になった時、親はどうすれば良いか?


我が子が学校に行きたくない、あるいは体調不良等の訴えで長期にわたって行けなくなった時、親としてどういう対応をすればいでしょうか。もちろんそれぞれ事情は違うでしょうから、一概には言えないのですが、身体面の病気やいじめなどの理由がはっきりしている場合は別にして、学校生活全体についていけない、あるいは友人関係になじめないなどの理由を訴える場合考えられる背景として集団活動に参加するエネルギーが枯渇していることが考えられます。

そういう場合の不登校状態に対して考えなくてはならない親の姿勢について簡単にまとめました。


子どもにとって不登校とはどんな状態なのか?


私はこれまでさまざまな不登校児と関わってきましたが、彼らは自分の気持ちを絵や遊びの中でさまざまなイメージで伝えてくれます。
例えば多くの子どもは学校生活を「電車」で表したり、個人としての行動を「車」で表したりします。


「電車」は「同じ目的に向かって敷かれたレールの上を、沢山の人が一緒に乗り合わせて移動していく」学校生活のイメージでしょう。
それに比べ「車」は「自分で燃料を補給しながら、自分で決めた道を自分の運転技術で移動する」手段です。


そう考えると不登校という状態は「みんなが乗っている電車から一時的に途中下車して一人で移動していく」イメージだととらえることができます。


子どもが不登校になった時、親はどのように対応すれば良いか


途中下車した以上、彼らが前に進んでいくには自分の車に「燃料」を補給しつつ、自分の「運転技術」を信じて前に進んでいくしかありません。もう電車のように乗っていれば勝手に目的地まで運んでくれるわけではないのです。

 

ただし例え電車に載っていても、最終目的地の駅に着けば結局全員下車せざるを得ません。

それ以後は他の子どもたちも同じように自分の車で自分で目的地を定めて進んでいかなくてはならないのです。不登校と言う状態は他の子どもたちより少し早く「自力で道を切り開く課題」に向き合った状態だと言うこともできるでしょう。

 

不登校はその車の「エネルギー」がガス欠になった状態です。車を運転される方はお判りでしょうが、車のスピードはガソリンが減少してきたからと言って遅くはなりません。ところが実際にガソリンがタンクの底をついてしまうと突然車は動かなくなってしまいます。

 

不登校も同じです。学校生活や集団生活に無理して合わせることで、疲弊してエネルギーが底をついた時、突然彼らは朝、寝床から起き上がれなくなります。学校に行けないぐらい具苦痛が起き、体調不良を訴えます。

車ならガソリンが底をつく前にランプが点灯してドライバーに教えてくれます。不登校の場合、そのランプの点灯は「普段と違う様子」や「不眠(なかなか眠りにつけない・夜中に起きた後ずっと寝付かれない)」などです。

 

学校や活動から家に帰った時に「おや?いつもと違うぞ」「いつもより疲れた顔をしている」「何かイライラして当たり散らす」など、これまでの日常と違うぞ、という「おや?」「あれ?」という印象があった時や「なかなか寝付けない」「夜中に目が覚めたらそのまま眠れない」などという発言があった時は、ガソリン枯渇のランプが点灯した状況だと思って、まず落ち着いてゆっくり話を聞いてあげてください。

 


ガソリンの補充が必要


さらに本格的にガソリンが亡くなってしまったら、次はガソリンを補充するしかありません。では彼らが運転するために必要な「車の燃料」とは何でしょう。

 

それは一言で言うと「世の中に対する期待や希望」であり、子どたちがこれまで世の中をどう体験してきたかにかかってきます。「世の中は楽しく、可能性が広がっているところだ」と思う子どもは前向きに希望を持って進むエネルギーに満ちています。

そしてその思いは実は日々の家庭での何気ない喜びや団欒、楽しい思い出の積み重ねから生み出されるのです。

 

 

特別な行事を組むのも良いですが、どうぞ日々の生活の中で、ゆっくり、のんびりと車を休ませて、たくさんの楽しい思い出を積み重ねてください。ガソリンを完全に補充するまでしばらく時間はかかりますが、満タンになるまで待てずに再び車を走らせはじめると、早晩またガス欠になってしまいます。彼らが自分で動き始める様子を見せるまで、親としては彼らを信じて待ち続ける覚悟が必要でしょう。

 

不登校の予防としても、あるいは現在不登校中の子どもが立ちなおるキッカケとしても、「希望や喜びを与えてくれる」世の中に「自分の力を信じて」乗り出していこうという前向きな「生きる力」を湧き起こすことが重要となります。  


大人こそ最高の「ガソリンスタンド」であり「運転教習所」


一方「車の運転技術」は何より自分自身に対する自信が大切です。こわごわ運転しているとかえって事故につながります。

 

「自分は大丈夫、運転できる」と言う自分に対する自信があってこそ、アクセルが踏めるのです。自信がなければアクセルを踏むと同時に「ブレーキ」も踏んでしまい、結局エンジンがオーバーヒートして前に進めなくなってしまいます。

多くの不登校児が「登校しなければならないことを分かってはいるけれど、どうしても行けない」と悩んでいる姿はこういう状態なのです。そういう彼らに

 

そのためにも身近な家族や大人自身が毎日を楽しく充実して生きる見本を彼らに示すことが最も大切なことではないでしょうか。

 

毎日の仕事に疲れ切った姿を見られるより「世の中に希望と喜びを見出し、自分の力を信じて生きていく姿」を身を持って示す大人こそが、子どもたちにとって「ガソリンスタンド」となり「運転教習所」になるのだ、と言うことをどうぞ忘れないで下さい。