あなたに贈ることば · 19日 7月 2020
毎日コロナのニュースがメディアから流れてきます。 このコロナのニュースに毎日さらされると、なんとなく漠然とした不安や先行きの見えないうつうつとしたムードになってしまう方はいらっしゃいませんか?...

07日 6月 2020
最近、車に乗るといつもこれを聞いて、自分のご機嫌の目盛りを1目盛りあげてます。 吾妻光良&The Swinging Boppers!
神戸のカウンセリング・オフィス岸井 リウー
朱戸アオさんの「リウーを待ちながら①~③」と言う作品をご存知でしょうか。すでに一部では有名になっているのでご存知の方もいらっしゃるかもしれません。朱戸さんはテレビドラマにもなった「インハンド」シリーズなど、医療サスペンスとでもいうような分野の作品を書かれています。どれも専門的な医療知識がふんだんに使われた大変な力作だと思います(朱戸さんご本人のブログを読む限り、医療関係の専門家であるわけではないとのことですが、作品を描かれる前にかなりの取材と勉強をされた跡がうかがえます)。 そのいくつかの作品の中でもたびたび表されるテーマが「感染症」。 現在の新型コロナ感染症の状況を考えると大変意味深く、読み返すたびに感銘を受けます。左にあげた第1巻の表紙を見ても、全身を防護服で包み、フェイスシールドやゴーグルなどで感染を予防しながら治療に当たっている現時点での医療従事者の姿そのものです。 ところがこの作品が描かれたのが、なんと2017年だというからビックリです。 それ以外にも現在なら理解できる「アウトブレイク」「ロックダウン」「基礎(実行)再生産数」「パンデミック」などの単語が当たり前のように登場してきます。驚きですが、実はこういう体験は過去に「ペスト」や「エボラ出血熱」や「サーズ」や「マーズ」などの感染症に見舞われた地域では見慣れた単語だったのかもしれませんね。 迷ったのですが、残念ながらこれ以上「リウーを待ちながら」のストーリーをここでネタバレさせてしまうと、実際に読んだ時の感銘が半減するので、出来れば興味を持たれた方は直接本を手に取るかkindleなどで電子書籍をご覧ください。その方がいいと思います。 そこでできるだけネタバレにならないぎりぎりで紹介しようと思うのですが、このタイトルの「リウー」と言うのは実はアルベール・カミュの作品「ペスト」の中の主人公、医師の「ベルナール・リウー」のことです。カミュの「ペスト」をお読みになられた方ならばなおさらこの作品が理解できると思いますが、現在の新型コロナ感染の状況で「人はどういう風にこの状況を受け入れ、あるいは拒否し、あるいは逃避」し、そして最終的に「自分はこの事態を、あるいはその結果である『死の思いもかけぬ訪れ』という不条理を自分の人生にどう組み込んで生きていくのか?」と言う逆説的な生きる意味を自問自答させられる作品ではないかと思います。 もし興味があれば一度手に取って見て下さい。 少し前の作品なので、一時期絶版で中古でさえ1冊何千円と言う値段で取引されていましたが、最近講談社が緊急重版してくれて、今なら定価で手に入るようになっています。でもいつまで在庫があるかな?と言う感じなので興味のある方はお急ぎくださいね。電子書籍ならいつでもありますけどね。 最後にちょっと関係ありませんが、東京が早く落ち着きますように願いを込めて・・・

さて、前回は「人は目の前の風景が変わらないと。出来事の経験さえ忘れてしまいがちである」と言うようなことを書きましたが、「忘れること」は必ずしも悪いことでもありません。むしろ「忘れられない」方が苦しみ続けることにつながることもあります。例えば交通事故や自然災害などの悲惨な体験を、何かのきっかけ(トリガー)によって「思い出されてしまう」ことをフラッシュバックと言います。このようなフラッシュバックは、その時の生々しい感情や感覚を伴い、一瞬にして過去の体験へと引き戻されてしまう非常に苦しいものです。 阪神淡路大震災や東日本大震災などで、被害に合った建物を「震災遺構」として残しておくことに対する賛否は理解できます。「この体験を忘れることなく引き継いで次の世代への教訓にして行こう」という思いと、「忘れてしまいたい体験をこの建物を見るたびに思い出さされてしまう苦しさ」の間で葛藤が産まれるわけです。両方の意見に納得がいくのですが、よく考えるとこの両方の意見は「忘れてはいけない」という思いと「忘れたい」という思い、さらに言うと「思い出していこう」と言う能動的な意見と「思い出されてしまう」という受け身の体験の対立でもあるのです。 この「忘れてしまいたいが、忘れてはいけない」と言う矛盾した思いは、その体験を自分の心の中に受け入れて、コントロールできているかどうか、に掛かってくる矛盾なのかもしれません。私たちは人生の中のさまざまな理不尽で受け入れがたい体験を積み重ねていますが、その時その体験に「自分の人生における、その出来事がもたらした自分なりの意味」を能動的に見出だした時に「自分の体験」としてコントロールができるのかもしれません。 ではどうすれば今体験しつつある出来事に自分なりの意味を見つけることができるでしょうか? それは私の今の考えでは、例えば感染者数の推移や死亡者の推移、あるいは他の国との比較などの客観的データでは無理なのではないかと思います。たとえ感染者数が1日に一けたに減った、とか、大阪モデルやと東京ロードマップのような客観的な基準をクリアーしたからコントロールできている、もう安心、と言うものではなく、たとえ一人でも亡くなった人がいる限りその一人の方の家族や周囲の関わりのあった人達がそれぞれの胸の内で自分なりの納得できる物語を作り出すものだからです。 震災などでもご自分が被災され、あるいは身近な方が被災された経験を踏まえて、いわゆる「語り部」として活動を続けていらっしゃる方々がいらっしゃいます。勝手な推測で申し訳ないのですが、彼らはそういう体験を誰かに「物語る」ことで自分の存在意義やこの悲しい出来事を遠方の方や次の世代に伝えることに意味を見つけ出された方々ではないか、と私は考えています。 そういう意味で、この新型コロナ感染症の引き起こした出来事を単なる客観的なデータとしてではなく、自分の生き方にどういう影響を与えたか、自分の人生のおけるこの出来事のもたらした意味を、それぞれの主観的な世界観や価値観をもとに「物語っていくこと」が、逆説的にこの出来事をコントロールしていく方法なのではないかな、と考えています。 長くなりましたが、「物語られた」ストーリーの一つとして次にある一つのコミックを紹介しようと思っています。 もうすでに御存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、それは朱戸アオさんの作品「リウーを待ちながら」という作品です。 長くなるのでそれは次回に。 最後に気分を変えるために・・・
さて前回は「失うこと」で「気づかされること」について、そして私たちはいつの間にか再びそれを「忘れてしまう」ことについて書きました。...

みなさん、このブログをお読みいただくのも久しぶりかもしれません。 みなさんご自身や身近な方に新型コロナの影響はなかったでしょうか。実際に罹患したり、身近な方を失ったり、様々な困難に見舞われた方もいらっしゃるかもしれません。心から心配しています。私自身は今のところ、何とかこれまでと同じような生活に戻りつつあります。...
09日 3月 2020
神戸のカウンセリング・オフィス岸井の開室時間について、新たに火曜日も開室することになりました。 現時点でも予約は可能ですので、ご希望の方はご連絡ください。
新型コロナウィルスが世界中で猛威を振るっています。日本でもかなり感染者がいるのでしょう。しかしニュースを見ると、アメリカではなんとインフルエンザで1万人以上の人がなくなっているとか。...

02日 2月 2020
<「ふうちゃん、だいじょうぶなんやろか」 「はしったり、えを みて かんがえたり、かずを かぞえたり。  おねえちゃんが ふうちゃんぐらいの ときには できてたのに、  ふうちゃんには できなかったり まちがったりすることが たくさんある・・・」 「おまけに このごろは すぐに 『ごめんなさい』って いうようになって」...

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