・・・そうすれば、やがてびくともしないようになるわけだ

「性に合わない人たちとつきあってこそ、うまくやって行くために自制しなければならない。

 しかしそれを通して、われわれの心の中にあるいろいろ違った側面が刺激されて、発展し完成するのであって、

   やがて、誰とぶつかってもびくともしないようになるわけだ。」

                                      ゲーテさんの言葉。

 

うむ、なるほど。これと同じようなことはたくさんの人が指摘されていますね。たとえば、心理学者のユングさんは「他人に対して感じる“いらだち”や”不快感”は、自分がどんな人間なのかを教えてくれる」という言葉を残しています。自分と合わない人というのは、要するに「自分がこうありたくない」と思っている姿を体現してくれているわけです。だからその人を見れば、逆に自分は何をどう考えているのか、が浮き上がってきます。

 

 

皆さんは約束の時間をきちんと守る方ですか?それとも案外守れない方ですか?私は昔から約束した時間の10分から15分前には先に着いて待っているタイプでした。ところが私の友だちに一人、いつも待ち合わせに遅れてくる男がいたのです。最初の内は腹が立っていたのですが、彼があまりにも変わらないので、「一度彼と同じように待ち合わせの時間に遅れてみよう。そうすればどういう気持ちなのかわかるかもしれない」と実験のつもりで時間にわざと遅れてみました。

 

それを数回続けてみると、案外どうってことないのですよね。確かに相手の人を待たせるのは悪いな、とは思ったけれど、自分が数回遅れてみると、何故だか彼が遅れてきてもあまり気にならなくなってくるのでした。だって、自分も遅れて迷惑をかけているのだから、相手が遅れてきても許せてしまうのです。

 

これは不思議な体験でしたね。その時「これまで自分がいかに自分からの視点でしか見ていなかったか」と思うようになりました。「自分が遅れてはいけないと思っている」から、「遅れてくる相手を許せない」わけです。だから自分も時々遅れてくることをすれば、「おあいこ」なのですよね。

 

何だか適当な例だったかわかりませんが、とにかく自分が「嫌だなぁ」と思う相手は、要するに「自分がそれはしてはいけない」と自分を縛り付けている考え方なのです。そこに気が付けば、自分の強い思い込みだけで「自分の思うように動かない相手」を毛嫌いするということは少し減るかもしれません。

 

 

「びくともしない」ようになるには些細な例でしたが、案外こう言うことの積み重ねが「物事に動じない広いこころ」を産み出してくれるのかもしれないな、と思いました。