双極性障害Ⅰ型・Ⅱ型


<双極>というのは、二つの極を繰り返すという意味です。その極とは「鬱(うつ)」と「躁(そう)」。

誰でも気分の落ち込む時やハイテンションの時はありますが、それが極端で一定上の期間続き、その結果日常生活に大きな支障が出てくるようになると治療の対象<疾患>となります。この双極性障害というものは、その内容によって大きく<双極Ⅰ型>と<双極Ⅱ型>に分かれます。その違いは何かというと簡単いうと躁状態(「躁病エピソード」といいます)がみられるか、軽躁状態(「軽躁病エピソード」)がみられるか、の違いです。


双病エピソードとは


アメリカの精神医学会が出したガイドライン「精神疾患の分類と診断の手引き(DSM-5)」によると

躁病エピソードとは 

A.気分が異常かつ持続的に高揚し、開放的または易怒的となる。加えて、以上にかつ持続的に更新した目標指向性の活動または活力がある。このような普段と異なる期間が、少なくと も1週間、ほぼ毎日、1日の大半において持続する

 
B.気分が障害され、活動または活力が亢進した期間中、以下の症状のうち3つ(またはそれ以上)が有意の差を持つほどに示され、普段の行動とは明らかに異なった変化を象徴している 
(1)自尊心の肥大、または誇大 
(2)睡眠欲求の減少 
(3)普段より多弁であるか、しゃべり続けようという切迫感 
(4)観念奔逸 
(5)注意散漫 
(6)目標指向性の活動の増加、または精神運動焦燥 
(7)困った結果につながる可能性が高い活動に熱中すること

 
これらのエピソードが見られ、しかも社会生活に著しく支障をきたし、入院が必要なほど重篤な場合を「躁病エピソード」といいます。一方で社会生活に著しい障害を引き起こしていなかったり、入院までする必要がない程度ならば「軽躁病エピソード」といいます。 大まかに言えば、「躁病エピソード」が見られるのが双極Ⅰ型、「軽躁エピソード」の場合とⅡ型とされるということです。

といってもピンとこな方もいらっしゃるかも。そこで次回は、ある著名な方の躁病エピソードを紹介します。


作家で精神科医の“どくとるマンボウ”こと北杜夫さん。北さんは躁うつ病であることを公言して、いろいろなところでご自分について自慢(?)されています。その中でも今回は娘さんの斎藤由香さんと父である北さんが対談して北さんの「躁うつ病」の様子について語り合っています。 

 

ひょうひょうとした雰囲気が持ち味の北さんですが、娘さんの由香さんはそれに輪をかけてサラッとされた受け答えをされています。躁病エピソードも、半ば面白おかしく触れられています。たとえば 

“とにかく躁病の時は株の売買をするので、朝の5時から起きているんだよね。うつ病の時は夕方まで寝ているのに” 

“でも株をやる以外は、映画を見たりとか、浪花節を唸ったりとか、中国語を勉強したりして、家の中はすごく明るくて、楽しくて、笑いに満ちているわけ。あと急に「マンボウマゼブ共和国を作ります」といってお札を作ったり、タバコを作ったり。” 

 

そう思い出し語る由香さんの話を聞いて北さんも 

“そう。『由香、聞きなさい。パパはもう日本国から独立して《マンボウマブゼ共和国》を作るから』といって『国家を作ったから、今から国家を斉唱します』と夕食中に歌を歌ったりとか。3回やったよ。” 

 すると再び由香さんが 

“・・・それで、なぜか躁病になると、赤ちゃん言葉になるでしょう。『なんとかでちゅ』とか。『今度、どくとるマンボウの文化の日をしまちゅ。来てくれない?まりちゃん』とか言って加賀まりこさんに電話してたりとか、星新一に電話したりするのを聞いている” などなど。 

 

何とも躁病のエネルギーというのは驚くべきものですね。 

お二人ともひょうひょうと語っていらっしゃるのですが、

しかし実際の日々は皆さん(ご本人も)大変だったことでしょう。

書きだしは“親父が躁うつ病だった。”から始まります。 中島さんがまだ中学生の時、登校しようと靴を履いていたら、突然後ろから「お前は絵が上手いから、絵描きになれ。心配はいらん。ワシは横山大観と知り合いやから」と言われます。もちろんそんなわけもなく、驚きながら学校へ行き、家に帰ってみるとお父さんの姿はなく、病院に入院されていたとのことでした。 

お父さんの躁状態の時の行動力はすさまじく、「今からここにプールを作るといって一人でスコップで庭をザックザックと掘り出し、なんと1週間で一人で穴を掘ってセメントを流し込んで完成させてしまった、ということです。 

しかしらもさんのエピソードも負けず劣らず。40歳ぐらいまでうつ病で、アルコール依存にもなりそれだけでも大変だったのに、その後躁病を発症されたとか。 

躁状態の時は万能感に支配され、仕事のアイディアも次から次へと湧いてきて、どんどん仕事がはかどっていく。それだけならいいのですが、エネルギーがどんどん湧いてきて、いてもたってもいられなくなり、「あせり」の感覚とともに行動せずにいられなくなったそうです。 

具体的なエピソードは引用すると長くなるので、実際に本を読んでもらうのが一番良いと思いますが、そのような病的な過活動に振り回されて困惑しているらもさんの気持ちが伝わってくる本です。結果的にらもさんは、アルコールの量が増えたり、服薬の副作用で大変な目に合われる入院もたびたびなされます。 

本人の意志だけではどうにもならない、振り回されている困惑が伝わってくる本でした。