最近いろいろなところで「物語」について、ふと考えさせられることが多くあります。そこでしばらく「物語とはなにか」について色々と考えてみたいと思います。もし興味があればお付き合いください。
私のような臨床に携わるものとして「物語」と言えばいくつかの場面が思い浮かびます。例えば夜に見る「夢」や箱庭・コラージュなどの表現や絵を描いた後での物語りづくり法(MSSMなど)などのお話。それからナラティブと言われる「現実で私たちが生きている物語」。
また最近大きな社会問題となっている「フェイクニュース」や「陰謀論」、「カルト宗教によるマインドコントロール」や「オレオレ詐欺」、SNSを駆使した「世論操作のための偽情報」等も、ある意味人々を操作するために意図的に作られた「物語(作り話)」であると言えます。このような現代の意図的な作り話であっても、人はその物語(ナラティブ)に引き込まれて「その物語を生きてしまう」ことがしばしばあります。少し以前の兵庫県知事選などもその最たるものでしょう。こういう様子を見ると、いかに物語が人に及ぼす影響が大きいかを教えてくれます。
簡単に言えば物語とは人や物と他の人や物との関係あるいは出来事と出来事などの間の関係を起承転結のような筋(プロット)として紡いだものでしょう。その中で今回取り上げる「物語」は冒頭にあげた「人の心の中に自然に生み出されてきた物語」です。フェイクニュースのように意図的意識的に人心を操作することを目的として作りあげられたものでありません。自分のこころの中から自然に立ち上がってきた「物語」は、いわばその人の生きる道筋を無意識がファンタジーとして導いてくれる道しるべのようなものなのです。




では「人は物語を生きる」とは実際にはどういうことを指すのでしょうか。
例えば「あなたは向こうから知り合いがやってくるのを見て『こんにちは』とあいさつをしました(起)。しかし相手は何も言わずにすれ違っていきました(承)」という状況があった時、あなたはどう考えるでしょう?
1.気が付かなかったのかな? 2.不愛想な人なんだ 3.何か考え事してたのかな? 4.嫌われたのかな? 5.他人の空似かもしれない・・・等々色々と考えるでしょう。 実はそれが相手と自分との出来事からあなたの作った物語です。
それが正しいかどうかは別にして、何らかの見通しの物語に基づいて「ではこれからあの人にどういう風に接しようか?」と、その状況を解決するためのシナリオを考えて頭の中でシュミレーションし、それに従って振舞う(転)のではないでしょうか?
その結果、誤解が解けたり人間関係が改善したり何らかの状況の変化が見られれば(結)、そこには起承転結の物語があります。そういう意味でまさしく「人は物語を生きている」のです。
コメントをお書きください