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「さくら」
長谷川摂子 文 矢間芳子 絵・構成 福音館書店
たまたま町の本屋で孫と一緒に絵本を探していたら、子供用の絵本のコーナーに飾ってありました。
何と言っても写真にあるように、表紙を含めた全ページのさくらの絵が素敵!
表紙の裏には「この本をつくるにあたって、森林総合研究所の勝木俊雄主任研究員にご協力いただきました」とあるように、それぞれの絵がかなり正確・精密に描かれています。
それだけにリアルな春を感じさせてくれます。
今や町は櫻で満開なのでしょうね。
実はこの文章を書いているのはまだ桜の開花前なので、この絵本を読むたびに春の訪れを待ちどおしく感じています。
なんで日本人はこんなに桜を身近に感じるのだろうと不思議に思うところもあるのですが、最近では海外でも桜が満開の花を咲かせて、多くの人が花見に集まっているとのこと。そう考えると日本人のメンタリティに訴えてくるというわけではないようですね。
私達にとっては咲く花を目にすることが喜びですが、木にとって花は「生の目的」ではありません。
鮮やかであるけれどもその鮮やかさは、実は桜の生き残るための「手段」なのです。
つまり鮮やかな花を咲かすことで人はもちろん、蝶や蜂や虫を集めて受粉を促すわけですから、木や植物にとって花は「次の世代へと生命をつなぐ実をもたらすための手段」でしかないのでしょうね。
この絵本でも満開な桜が描かれているのは最初の数ページで、残りのページは花が散った後の桜の生の営みが正確に描かれ、そしてまた最終ページでは再び満開の桜でおわっています。
この構成を見ると「生命の循環」ということを感じて、循環を通して受け継がれていく「生命」を感じずにはいられません。
私は常々思うのですが、人間にかぎらず「生」の営みの基本は「循環」なのではないでしょうか。
面接場面でもよくお伝えするのですが、人の変化・成長というものは数学のグラフのように右肩上がりの直線的なものではありません。
「3歩進んで2歩下がる」というように、前進したかと思うと時に後戻りを繰り返し、気が付いたら1歩ずつ前に進んでいるというような営みではないでしょうか。「螺旋階段を上るような」と言ってもよいかもしれませんね。
毎年咲き誇る桜もいずれは散り、葉も落ち、まるで枯れたようになった姿の木が再び芽吹き、つぼみを見せ、そして再び花を咲かせてくれる。桜はこの循環を毎年毎年私たちに見せてくれているのですね。
「生きるっていうことはこういうことだよ。あきらめちゃいけないよ」って。
色々なことを考えさせてくれる絵本でした。
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