「100年たったら」

 

 

 

 

 

〝「われわれは ひゃくじゅうの王。どうぶつのなかで、いちばんの王だ」

 

    ライオンが ちいさかったころ、

          とうさんライオンは じまんげに そういった 〟

 

 

 

 

 

 

ひゃくじゅうの王のライオン。

しかし今、そのライオンが 広い草原を見回しても誰もいません。

そうなんです、王であるはずのライオンは 広い草原の中で たった一人の存在なのでした。

 

広い世界の中で、自分しかいない。百獣の王であろうが それがどうしたというのでしょう。

 

もしかしたら、誰もいないはずの草原のいたるところに、他の動物が隠れているのかもしれません。

でも誰も姿を見せようとしないのは、ライオンと関わりたくなかったのかも。

姿を見せると、襲いかかってくるかもしれないライオンには そりゃぁ 誰も近づきたくはありません。

 

ある日のこと、いちわの鳥が そうげんに おりたった

 

その鳥はこういいました。

 

〝わたしは もうとべない、あんた、おなかが すいているんでしょ? わたしを たべたらいいわ〟

 

そこから二匹の不思議な生活が始まります。ライオンはその鳥を食べることもできたでしょうが、そんなことをすると本当に天涯孤独の身になってしまうかもしれません。

一時的な欲を満たすのと、たったひとりの孤独な毎日と、もしライオンと同じ立場になったら 私たちはどちらを選ぶのでしょうか?

 

ライオンは小鳥との二人の生活をえらびました。

 

 

人は一人では生きられないと、よく言われます。

もし離れ小島に、たったひとりで生きることになったら、生きることに意味を見つけられるでしょうか?

それは「死」も同じ。

「死」は避けることができない「別離」の体験ですが、それでも心の中では もう会えない人の姿は消えることはありません。

100年たっても、たとえ姿かたちは変わってしまっても、誰かと誰か、何かと何か、は「出会う」ことで、この世の中に生きる意味と生きている実感を思い出させてくれるのでしょう。

 

生けとし生けるものすべてが、必ず何かに繋がっていることで 世界は成り立っているのだと 気づかせてくれた絵本でした。

もしあなたが 今、誰かとの、何かとの、つながりを感じられていないのなら 

この絵本をぜひ一度手に取って目を通してはいかがでしょうか。