「おじいちゃんと森へ」

写真はAmazonより
写真はAmazonより

 

 

 

 

 

 

 今日紹介する絵本はこれ 

  

    「おじいちゃんと森へ」

「僕」が小さかった頃、一番のともだちはおじいちゃんだったのでした。おじいちゃんといると、いつも世の中の色々なことが「ほんとにそうなんだなぁ」と思えたものでした。そして森の中を二人で散歩するのが大好きだった「僕」はある日、おじいちゃん“お祈り”について聞いてみました。するとおじいちゃんはしばらく黙った後、こう言ったのです。

 

“知っているかい?おまえ。あの木たちがお祈りをしているってことを”

“岩たちだって、お祈りしているんだぞ。小さな石も、大きな石も、長い年月、風や雪にさらされてきた丘だって、そうなんだ”

 

昔、故・河合隼雄さんがある本の中で、「現代の子どもたちは不登校などで苦しんでいるけれど、なぜ今の子どもたちは自分の生き方を探し求めて苦労するのだろうか?その原因は何なのだろう?」と聞かれたことに「その原因は今の高齢者の方々にあるのではないか」とお答えになられた文章を読みました。

その理由として河合さんは「昔から日本人は、朝日が出れば朝日に向かって、夕日が沈む時は夕日に向かって、手を合わせたものだ。今の現代の高齢者はおてんとうさまに対して手を合わせる、という習慣をやめてしまった。それが原因だと思う」と言うようなことを述べられていました。

 

要するに今の現代人は自然に対する敬意を失って、自分の頭の中の意識的な世界がすべてだと思うようになってしまっている、と言うことなのでしょう。その原因を「高齢者に求める」というのも酷なような気もしますが、この絵本を読むと確かにおじいちゃんやおばあちゃんが次の世代、次の次の世代にまで人生や自然を含む世界のあり方を伝えてくれる存在なのだ、と思わせてくれます。

 

その時に教える内容は、たとえ科学技術が発達した現在であっても論理で説明できるものではない、のだと思います。ある意味証拠などなくても信じる世界、宗教や哲学の範疇でしょうね。心理学と言うのも自分の生き方を結び付けて考えるならば、ある意味「証拠などなくても『これいいのだ』と自分自身を信じる世界」なのです。

 

最後におじいちゃんが「僕」に語った言葉を引用しておきます。

 

 

“「お祈りは、聞き届けられるの?おじいちゃん」ぼくはたずねました。おじいいちゃんは微笑みました。「ほとんどのお祈りと言うものは、ほんとうは問いかけじゃないんだよ」おじいちゃんは言いました。「じっと耳をかたむけて聞いてみると、お祈りそれ自体がその答えだってことも、よくあるんだ。木や風や水と同じように、ぼくたちはここにいるからお祈りをするんだよ。世界を変えるためではなく、自分たち自身を変えるためにね・・・・。なぜならば、ぼくたち自身が変わることによって、世界も変わるからなんだ」”

 

 

今世界中で起きている悲惨な現状を思い出すと、この絵本の持つ意味が良くわかってくるのでした。