「ぼくは 川のように話す」

      

 

 

          < 朝、目をさますといつも、

         ぼくのまわりは

         ことばの音だらけ

 

         そして、ぼくには、

         うまくいえない音がある。>

 

 

 

 

 

この絵本の作者ジョーダン・スコットさんは、小さい頃から吃音に悩まされてきました。朝から石のように口をつぐんで、教室では「先生に当てられませんように」と後ろの方でちぢこまっていたのでした。

 

以前、私が関わった青年に吃音の方がいました。彼は対人支援職を目指していたのですが、それには実習があり、前回の実習では「不合格」の成績をつけられていました。

また、別のある青年は人とどうかかわればよいかわからず、苦しんでいました。友達が欲しいのだけど、どうやって作ればよいのかがわからなくて苦しんでいました。

 

人と関わるにはどうしてもコミュニケーションが必要です。もちろんその方法で一番多用されるのは「ことば」でしょうが、その「ことば」が上手く出てこなかったり、「ことば」をどう使えばいかわからない場合は途方に暮れてしまいます。

 

スコットさんも途方に暮れて毎日を過ごしてきたのでしょう。

しかしある時、お父さんが彼を川に連れて行ってくれました。そしてその川を見ながらお父さんが

 

<ほらみてごらん、お前はあの川のように話しているんだ>

 

と声をかけてくれたのだそうです。

それを聞いたスコットさんは、確かに水は岩にぶつかり、渦巻くけれども、結局はどういう状況でも自然の流れを見せていく川を見て、

 

<ぼくは 川のように話しているんだ>

 

と納得したのだそうです。

 

水はうずまき、ぶつかり、別れたかと思うとまた合流する、しかしそれでも、そしてなにより川は自由に流れ続けます。

私も時々車に乗って少し離れた山間の渓谷に川を眺めに行くことがあります。

上流から水は絶え間なく流れ続け、岩に砕けてはしぶきをあげて渦を巻くけれども、また流れ続けていく様子を見ると、なんだかすごいエネルギーを感じさせてくれます。

 

たとえ流ちょうに言葉は流れだせなくても、彼らのエネルギーはそれぞれの置かれた障がいに負けることなく、そして絶えることなく、流れ続けていくのだ、と私は信じています。

 

*「ぼくは川のように話す」ジョーダン・スコット 文 シドニー・スミス 絵 原田勝 訳  偕成社 2021 写真はAmazonより

ちなみに、冒頭で取り上げた私が関わった男子学生は無事に実習もよい成績で合格することが出来、卒業できました。