· 

ゴジラ-1.0 を観てきましたよ!

ちょっと遅ればせながら、やっと「ゴジラ-1.0」を観てきました。

なかなか良かったですよ~、特に出演されている俳優さんたちの演技がなかなか真に迫っていて、観ていて人間ドラマを感じで心が熱くくなるシーンもありました。

監督の山崎 貴さんのインタビュー記事(「昭和40年男」12月号 P13 株式会社ヘリテージ)によると

〝キャスティングに関しては『とにかく演技の上手い人を集めてほしい』とお願いしました〟という通り、中心登場人物の神木龍之介さんや浜辺美波さん、安藤サクラさん、佐々木龍之介さん、吉岡秀隆さんをはじめ皆さん、熱演で怪獣映画というよりも人間ドラマというう方が適切かもしれません。

 

もちろんゴジラの迫力もさることながら、時代背景が第二次大戦後の日本社会であることなども含め、いろいろと考えさせられる作品でした。このあたりの論評については、色々な雑誌や記事で多くの方が触れられているのでそちらに譲りますが、私の見終わった後の感想を簡単にまとめてみたいと思います。

私の観終わった後の直後の思いとしては、なんだか大変複雑な気持ちになりました。確かに俳優さんたちの演技は見事だし、見どころもたくさんあるのですが、ゴジラの荒れ狂う姿と都市が破壊され、逃げ惑う人々、そして核兵器を思わせるシーンや戦う民間人の人たちの決意や表情などを見ていると、どうしても最近のウクライナとロシア、イスラエルとパレスチナのニュース映像と重なってしまうのです。なんだか切なくなってきました。

 

映画のゴジラが街を破壊するシーンだけを見ていると確かに「ゴジラは倒さなければいけない敵」なのでしょうが、もともとゴジラは人間の身勝手な水爆実験で突然変異させられた被害者であるわけです。それを考えたら、ゴジラが暴れているのは人間の身勝手で理不尽な「正義」に対する被害者としての怒りや哀しみがあるからではないでしょうか?

 

ゴジラはそういう憎悪の連鎖、応酬、増強すれども解消することはない「憎しみと絶望の象徴」ではないかと思ったりもします。

 

そんなことを考えだしたら最近よく街に姿を見せるアーバン・ベア(クマ)とその被害を防ぐための人間による駆除・射殺に対する世間の反響のことも思い出されました。ひょっとしたら人間のエネルギー利用の影響としての異常気象が森林の果実に不作をもたらし、仕方なく都市部へとえさを求めて現れたクマを「害獣として殺す」という事態は、人間の水爆によって被害者となったゴジラがその怒りや哀しみを人間社会に向けた時、人間はそのゴジラを人間に被害を及ぼす「倒すべき敵」としてしか見ていない事態と同じではないのかな?

 

ゴジラやクマの方からすれば、人間の方が自分たちに一方的に危害を加えてきた加害者となるのでしょうけどね。

いったい私たちは、ゴジラやクマとどう付き合っていけばいいのでしょうね?

 

なんてことをつらつらと考えていくと何とも複雑な気持ちが湧いてきた作品でした。

ただし作品としてはなかなか見ごたえのある「大人の映画」だったと思いますよ。

まだの方はゼヒ!