ウクライナとロシアの間での悲惨な戦いに加えて、イスラエルとパレスチナの間でも悲惨な状況が起きている。もちろん世界にはそれ以外にもたくさんの理不尽で無意味な戦いが繰り広げられている。集団と集団の戦いだけでなく、残念ながら怒りの炎上は個人と個人の間にも絶え間なく起きている。
私などは主に個人と個人の間、たとえば学校でのいじめ、会社での人間関係や夫婦間の争いなどに主に関わっているのだが、多分その様相は集団対集団となっても変わらないのかもしれない。主に個人同士の戦いを顧みて思うことは、相手(あるいは自分)が「自己反省(もしかしたら自分の方にも何か落ち度があるのではないか?)」と思える能力があるかどうか、という点にその後の成り行きがかかっているということだ。
もしかしたら自分の方にも何かしらの落ち度があるかもしれない、と思える能力がないと、常に「悪いのは相手」となってしまう。もちろん、冷静に見て自分に落ち度がない場合もあろうが、それを確認する前に、「冷静に自分を見る能力」が必要だろう。
冷静、客観的に見ても自分に何の落ち度もないのであれば、その時は冷静に交渉しよう。なぜなら、相手に「自分を振り返る力がないかもしれない」からだ。そういう相手であればあるほど、敵に回すと残念ながら手ごわい。争いに落としどころを見つけることが出来ないから、「勝つか、負けるか」の勝負になり、炎上は避けられないだろう。
極端な例ではあるが、京都のアニメーション会社に放火した犯人も、大阪の心理クリニックを放火した犯人も、東京の秋葉原や渋谷で重大事件を起こして周囲の人を巻き込んだ犯人も、常に「世の中が悪い」「相手が悪い」タイプだった。
私の目指すカウンセリングは基本的に、「自分自身を振り返る力」を育てて自己解決する「自然治癒力」を活性化することを目標にしている。「自分を振り返る能力がない人」にどうすれば振り返る力を養ってもらえるか、そう簡単にはいかないが、やはり最後には「自分を振り返る力」が「争いごとを収める力」ではないかと思っている。
ただしすべての原因が自分に発していると思い込みすぎるとなってしまうと、それは鬱になってしまいかねないことは言うまでもない。
針が他罰から自罰へ反対に振り切れてしまうことは避けたい。
そうなったときに、そういう自分をも冷静に振り返る力はやはり必要だ。
いずれにしても「自分を冷静に振り返る」ことは大切なことではないだろうか。
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