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物語を生きる、生きることを物語る

「物語」と言われて皆さんはどういうことを思い浮べますか?

日本昔話?ハリーポッター? 最近で言えばアナ雪なんかも素晴らしい物語ですね。しかしそういうファンタジックなストーリーだけでなく、実は私たち自身が生きていること自体が、毎日毎日自分だけの物語を産み出しているんだ、と言えばどうお感じになるでしょうか。

 

例えば以前も取り上げた「正月の初日の出」。

初日の出、何て言わなくても、太陽は地球が存在してから毎日毎日夜に朝をもたらしています。だのになぜ、お正月だけそんなにありがたがらなければいけないんでしょうか。

それはそもそも「正月」は1年の始まりを意味する、という物語があるからです。その日を1月1日と定めたということ自体、これも私たちの祖先の半ば恣意的な、半ば無意識の物語でしょう。

 

このように私達は自分の生きていく時間や生きていく意味をただ無意味に過ぎ去るものではなく、何らかの豊かな意味に満ちている、あるいは導かれている、と思うことで自分自身の存在を確認しているのだと思います。

成人式なんてものも同じかな。法律によって成人式を20歳で行うか、18歳で行うか、なんてことは本来どっちでも良いことなのでしょう。「自分が大人になった」「もう子どもではない」という物語を生きることこそが大切なのでしょう。

 

そしてその先には「死」があるのですが、「死」までも「空虚」ではなく「希望に満ちた」ものであると信じたいがために、来世や神の世界を作り出したわけです。

 

ところがその物語が枯渇しそうになる場合もあります。もし「物語」が枯渇し始めると、たちまち私たちは自分の存在意義や希望を失い「死」や「絶望」「空虚感」に覆われてしまいます。そういう状態がいわゆる「うつ状態」だということもできるのです。

それについてい大分以前ですが、精神科医の香山リカさんが面白いことを言っています。

 

今うつ病の患者さんが非常に多いんです。しかもこのうつ病と言う病気は「物語性」があまりない病気なんですね。なんとなく気持ちが滅入るとか起承転結がはっきりしない病気と言うか・・・・・・ひとつ言えるのは、精神疾患はいつの時代も、その背景にある時代性や社会と連動して起きるということです。現在の、うつ病の増加は、世界全体の物語の喪失という問題と関係しているのではないだろうか・・・・・>

 

なるほど、今うつ病の方がこれだけ多いのは、時代が「物語性」を失いつつあるからなのかもしれません。

本来ならば私たち庶民に希望をもたらせてくれるはずの政治家の情けない言動や子どもたちに夢を与えてくれるはずの教員の不祥事、さらに人々に夢を与えてくれるはずの芸能人の事件などは、「なんだ、現実ってそんなものか。」と言う白けた雰囲気さえ感じてしまいます。

 

もし子供たちに夢と言うかファンタジーをもたらしてくれているものがあるとすると、それはゲームでしょうか。ゲームのイメージの中では夢や正義や万能感がまだ生きています。子どもたちが夢中になるのも無理ないかも知れません。ただ問題があるとすると、その物語は「誰かが勝手に作り出したもの」であるということ。子どもたち自分自身が自分の「生」と結び付けた物語ではありません。あくまでも現実逃避になってしまっていますからね。

 

残された「自分自身の生の中から湧いてくる物語」は、私に言わせれば「夢」であり「芸術」というフォーマットの中で「自由に表現されたファンタジー」なのではないかな。そしてそれのファンタジーが多くの人に共有されたものこそ、文明や行事や宗教の中に残されている生に結びついた神話であり、それを身をもって体験することこそ、「生きることを物語る」営みなのだろうと思っています。