ある日、突然売れない同人作家・横井くんのアパートに姿を見せた、独特の個性を持つ少女・斎藤さん。
彼女の話を聞けば聞くほど彼女の独特の特性に驚きながら、同時にどこか自分と同じ匂いを感じて、ごく自然な成り行きで二人は寄り添いながら日々を過ごすことになります。
その彼女、斎藤さんは作品の中でアスペルガー症候群(現在の自閉スペクトラム症)であり、その個性の強さが両親からも受け入れられない過酷な育ちの経歴を少しずつ口にしてくれるようになります。
「生きるのが不得意なふたりがいっしょに過ごした、ふたりぼっち物語」と本の帯に紹介されていますが、確かに作品の巻を追うごとに二人の生き方の不器用さと、しかしだからと言ってどうしようもない生きづらさがヒリヒリと伝わってきます。
そのヒリヒリとする生きづらさの中で二人肩を寄せ合ってなんとか毎日を生き延びていきますが、しかしいよいよ第4巻では次第に「ふたりぼっち」では生き延びられない現実に気づいて、その世界を少しづつ開いていく様子が描かれています。
発達障碍の特性は確かに診断基準にあるような共通点はありますが、当然のことながらその個性は十人十色です。それは当たり前で、「発達障碍」の部分だけでできている人間などいないからです。
持って生まれた気質や個性そして育った家庭環境の違いという背景の上に、「対人社会性の困難」や「衝動性・多動性」などの部分特性が展開するわけですし、その程度も「スペクトラム」と言うように人によってさまざまな現れを見せるからです。
ところが世の中では「発達障碍」という単語だけで、何か固定されたイメージが出来上がってしまい、その当人と会わなくても「対処法」や「対応の仕方」が、まるでハンバーガーショップの店員の接客マニュアルの様に様々な書物として本屋に並んだり研修会が開かれているのが現実ですね。
そしてそういうマニュアルだけを紹介している著作もたくさんありますが、私はそういうスキルだけを紹介した本を読むと複雑な気持ちになります。その当人に会わずして、また十分な理解をせずして、どうしてその方との関わり方や対応の仕方が語れるのでしょう?
相手の方の特性をスキルでコントロールすることがその人との関わり方であるとするならば、本当にさみしいものがあります。
なんだか少し愚痴になりましたが、この斎藤さんの個性・特性に驚きながらも、横井君は真摯に斎藤さんの気持ちに寄り添い、常に「障碍」ではなく「一人の人」として斎藤さんと接する努力をしています。
子どもだけでなく大人の発達障碍とともに生きる方々、およびそういう彼ら彼女らと歩調を合わせて生きる方々ならば、きっとこのコミックのいたるところに「わかる!」という気持ちが湧いてくるかもしれません。
興味を持たれたら、一度本屋で手に取ってみて下さい。
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