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「木の芽時」の憂鬱 -2-

「木の芽時」の憂鬱、その2弾。

毎年のことですが、この季節になると憂鬱な顔と会うことが多くなります。それは特に学校や、大学、職場などの面接室。新しく進学したり就職したりすると、環境だけでなく人間関係も当然一から作り直さなくてはいけません。特に学校関係だと「友達できるかな?」と不安で仕方がない人もたくさんいますね。人間は群生生物だから、人間関係の順位やスクールカーストなどと言われる「群れの秩序内の位置づけ」をしない事にはみんな不安なのです。

 

そこでうまく適応出来ればよいのだけれど、気が付くと「自分以外のみんなはグルーピングできていて、一人取り残された」的な気持ちになることも有りますね。それをネガティヴに取るかポジティヴに取るかでかなり気持ちの持ちようが変わってくるのですが・・・。

 

と、いうことで、私が勤務しているいくつかの学校で出しているSC(スクールカウンセラー)だよりから一部引用してみました。色々な意見はあると思うけれど、こういう考え方もあるのか、ぐらいでお読みいただければ幸いです。

 

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新学期が始まってはや1か月。みなさん、新しいくるクラスや新しい生活に慣れもましたか?新しい環境は誰にとっても緊張するもの。この連休でゆっくり休んでください。

さて私は、毎年この時期になると、こんな歌を思い出します。

 

「1ねんせ~になったら、ともだち100人できるかな」

 

個人的な意見ですが、あまのじゃくの私はこの歌が好きではありません。この歌があるから「友達ができないこと」がネガティヴなことのように思えてしまうのからです。確かに「集団の中にいられる能力」というのは大切なこと。しかしそれと同様「一人でいられる能力」も大切なのです。

 

孤独は人を鍛えてくれます。自分自身を友達として、自分に語りかけ対話をすることで、自分の世界に「広がりと奥行き」を生み出すことができるのです。そしてさみしさや孤独は、この世界に光の当たる部分だけではない、「陰影」があることを教えてくれるのです。さらにそれが時がたつにつれ、人に対する「優しさやおもいやり」へと成熟していくかもしれません。

 

もちろん人と親密な関係を持つことができることも大切ですが、それは数の問題ではないでしょう。

たくさんいればよいというものではありません。また「今いない」からと言っても「これからもできない」と言うことではありません。人と人はおもいがけない時に出会うものなのです。

 

「そうはいっても、やっぱり何でも話せる友人がほしい。でもなかなかできない。どうしたら良いのだろう」と思う人もいるでしょう。そう言う思いを持つ人に、ちょっと厳しいけれど、真実をついた、北野武(ビートたけし)さんの言葉を贈ります。

 

困った時、助けてくれたり、自分の事のように心配して相談に乗ってくれる そんな友人が欲しい?
 馬鹿野郎!
 友達が欲しかったら、相談に乗り 心配してやる事だ。
  そして相手に何も期待しない事。

   これが友達を作る秘訣だ!」

 

・・・・きびしいけれど、勇気を出してみませんか?