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絵本「わたしは ひろがる」

今回紹介するのは「「わたしはひろがる」という絵本です。
この絵本の制作には色々とエピソードがあると言われます。

この絵本は岸 武雄先生と言われる原作者のの存在なしには語れませんが、
しかしそれについて長い話をするよりも、
絵本の原作のこのすばらしい詩の一部を紹介して、本の紹介に変えます。

その詩に、これ以上ないというぐらいぴったりとした絵を描かれた長谷川さんにも感謝です。

わたしは ひろがる

『わたしはひろがるー愛、平和、そして人間』

わたしは 小さいとき 
おやつのおかしが
弟より大きくないと おこった
ときには
ひっくりかえり、
足をばたばたさせて
わめいたこともある。
わたしが 世界のすべてであった
わたしが 世界のすべてであった

やがて わたしは
弟も わたしと同じように
大きいおかしをほしがっていることが
わかってきた。 
わたしは けんかしながらも、
同じように分けることをおぼえた
・・・(中略)・・・・
弟といっしょに おやつをたべると
分量のへることもあるが、
なんとなく たのしい。
こうして いつのまにか
わたしの中へ 弟がはいってきた
わたしの中へ 弟がはいってきた

わたしは お母さんが
いそがしそうに はたらいていても
いっこう 平気だった
いっこう 平気だった
ーうちのことは みんな
 お母さんの 仕事さ
と、思っていた。
・・・・(中略)・・・・
ある日
お母さんがあまりつらそうだったので、
「わたしも 手伝おうか。」
と 、声をかけた。
「まあ、おまえが・・・・・たすかるわ。」
お母さんは目をかがやかせた。
おかあさんといっしょに仕事をすると
わたしも たのしくなる
こうして いつのまにか
わたしの中へ お母さんが入ってきた
わたしの中へ お母さんが入ってきた

・・・・(中略)・・・・
ああ、 わたしは たったひとりなのに
むねの中の わたしは
弟も 養護の子も
原爆でたおれた子も
アフリカの子も 山のけだものたちまでふくめて

ひろがる ひろがる・・・・・・。


かなり割愛しました。
実はこの長編の詩の中の「わたし」は
「養護の子(知的障がいの友達)」
「内心ばかにしていた友達」
「原爆でたおれた子」
「アフリカのがりがりにやせた子たち」
「(人間が山を開発したために)食べるものがなくなって村に出没して被害を及ぼすサルたち」
にまで思いを広げ、すべての生けとし生けるものの立場を、
相手の身になって理解できるようになる小学校の女の子。

その胸の中の自分の世界の広がりを

「わたしはひろがる」

と目をつぶって自分に語りかけている、という絵本なのでした。

あぁ、成長するということは、こういう風に「自分がひろがっていく」という感覚なんだな、と思わされました。
思わず「いいなぁ~子どもは可能性がたくさんあって」とさえも。

私のような歳になっても、まだ自分はひろがるかしらん?
いや、ひろがる可能性は少なくなっても、
奥行きがでてくるかしらん?などと、つい自分を振り返ってみてしまう「わたし」でした。

*なお、全文を読みたい方は書店でこの絵本を手に取るか、あるいは面倒でなければネットで探してみて下さい。