映画「いろとりどりな親子」を見て思ったこと

前から「必ず見たい映画」と決めていた映画「いろとりどりの親子」を見てきました。とりあえず予告編はこちら。

世の中の人の顔がみな違うように、一人一人の人生はみな違います。決して人と比べる訳ではないけれど、それでも自分と違う顔や人生がある事を知った時、うらやましく思ったり、悲しく思ったり、逆に優越感を持ったりするのが人間でしょう。

 

しかしだからと言って、「この世に受けた生を自分らしく生きること」に関しては人間だけでなく、すべての生物に備わった権利だとも言えます。その点に関しては誰とも比較することではないと思うのですがいかがでしょうか。

 

この映画の原作は、作家アンドリュー・ソロモンさんの著書「FAR FROM THE TREE」。どういう本なのかと言うと・・・

 

<作家アンドリュー・ソロモンは、自分をゲイとして受け入れようと苦悩している両親の姿に直面したことをきっかけに、10年をかけて、身体障がいや発達障がい、LGBTなど、さまざまな“違い”を抱える子を持つ300以上の親子に取材。900ページにわたって家族の本質を探ることに尽力した一冊>(映画「いろとりどりの親子」公式ホームページより引用)

 

まさしく様々な違いを持った親子が、それぞれの人生を、それぞれの受け入れ方で生きている姿をそのまま私たちに教えてくれます。

 

私もこれまで様々な障害を持った子供たちやそのご家族、様々な状況に苦しんでいるご本人やそのご家族にお会いしてきました。また私自身難聴と言う障害を持つのですが、難聴を含む「聴覚障害」とひとくくりにできない、一人一人の人生がある事を当事者に関わらせていただくことで実感しています。

 

結局は「障害児・者」や「健常児・者」などというレッテルでひとまとめにしてしまうことで、一人一人の固有の人生を抽象化してしまいかねないのではないか、そこに生きる具体的で固有な人生を見失ってしまわないか、と懸念しています。

 

どういう面で共通点があろうとも、それ以外の点ではそれぞれ「いろとりどり」の姿を持つ固有の人間です。それぞれがそれぞれの人生を「納得」して生き抜くことがこの世に生を受けたことの証ではないのでしょうか。

 

この映画をいわゆる「障害者やその家族」を描いた作品として見るのではなく、それぞれが置かれた状況で真摯に生と向き合った人々との出会いとして観る必要があるのではないか、私は今そう思っています。

 

興味があれば、是非一度ご覧ください。