様々な方とお会いしていると、いろいろと気づかされることがあります。
その一つが「行動・からだ・イメージ・ことば」。
たいていの問題は、特に子供の場合は行動面での問題に端を発しますね。
たとえば学校に行きたがらない、とか、暴れだして困るとか。
そういう時には、周囲が「なぜそんなことをするの?」と理由を尋ねても、
はっきりした答えが返ってこないことが多いようです。
もっともはっきりした原因がわかれば、あまり問題としては深くならないで済みます。
周囲も対応を考えやすいからです。
ところが理由や原因がはっきりしない、あるいははっきりしてもなかなか対応が難しい時は周囲もどうすればよいか悩んでしまいますね。
こんな時は周囲があまり原因探しをせずに、行動の不調に波長を合わせてつかず離れずの落ち着いた対応を取れるようになると、なぜか今度はからだの不調を訴えてくることがあります。
行動がからだのレベルに収まってきたとでも言うのでしょうか。
人間の心理的エネルギーというものは、必ずしも最初からこころの問題として姿を見せるとは限りません。最初は、まず行動として自分の中に納まりきれないあふれるエネルギーを自分以外の物や他者にぶつけます。
いらいらした男の子が壁に穴をあけたり、女子中学生が誰かをのけ者にして自分たちのストレスを解消するなんて言うのもそうかもしれません。
しかし周囲がその破壊的なエネルギーに破壊されずに、あふれ出ててくるエネルギーの入れ物として機能してくるようになると、次第に溢れ出すエネルギーは自らの中へと収まっていきます。
そして周囲の果たしてくれた容器としての働きを、今度は自らの「からだ」が果たしてくれるようになり、今度は「からだのレベル」に問題が移っていくような気がします。
長くなるので「からだのレベル」については続きはまた次回。
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