対人過敏性について考えたこと①  ~ネット社会での人の在り方~

さて、以前一度触れた「対人過敏性」について、いろいろと考えてみました。

ここで言う「対人過敏性」とは、簡単に言えば他人が自分の存在を認めているということを確認することで逆照射して、自分の存在を確認しているという傾向を指しています。

 

例えば常に他人が自分を見ているということが前提になっていて、見ていないということは「見捨てられ」たような気持ちになってしまいます。それは他人が自分を「どう評価しているのか」ということよりも、他人によって見られていることで「自分の存在を確認できる」、というような在り方なのです。

 

これが一番感じられるのが、ネットの世界。

例えば私が書くこのブログなどもそうですが、ただネット上にアップしただけでは満足できません。この記事をどこの地域の、誰が、何回ぐらい見てくれているか、というような確認があってこそ励みになるのです。

 

つまり誰かが私の(ブログを、いやブログを書いている私自身の)存在を認めてくれる、それがあってこそ書いた甲斐があるのです。

 

もし一生懸命考えて書いてアップしても、一人も見てくれなければむなしくて仕方がありません。

つまり、私自身の(ブログを通じての)存在は、見てくれる人の存在なしには感じられないのです。

 

これってどうでしょう?

もう少しこのことについて考えてみたいと思うのですが、長くなるのでまた次回。