私はどうしてカウンセラーを目指したのだろう? <5>

「苦しんだ人こそ、人の苦しみがわかる」

聞きなれた言葉できれいごとのように聞こえますが、実はそうではないと思います。

 

単に人の苦しみを自分の経験から想像する、ということではなく、カウンセリングの本質をついているのではないでしょうか?

 

カウンセリングも色々な理論があり、色々な流派(?)があります。

それはそれぞれですが、私が学んだ考え方は簡単に言えば、「私治す人、あなた治される人」というスタンスではなく、今のあなたの問題は決してあなただけの問題ではなく、突き詰めていけば私にも通底する問題ですよ、というスタンス。

 

言い換えれば個人個人置かれた立場や状況や問題は違うけれども、本質的な意味では人間が人生を生きる上での共通した問題なのではないでしょうか?、という考え方です。

 

「<花>が<存在>しているのではなく、<存在>が<花>しているのだ」という河合隼雄さんの名言がありましたが、個人個人の世間的な表れは、「この世に一つだけの花」かもしれないけど、その根源をたどれば「みんなつながっている」ということです。

 

であるならば、私やあなたが今苦しんでいる問題は、決して個人だけの問題ではないでしょう。

 

例えば、「難聴」や「腰痛」などの「障害」や「困難」の問題に直面すると、人はその不自由な状況の中で、いかに自分自身を生きるか、を問われてきます。

 

しかし、そのテーマは全く内容が違う「不登校」「うつ」「無気力」など様々な「今の自分ではどうしようもないような不自由な状況」において、どう納得がいくように生きれば良いのか、という点では共通するのです。

 

しかしその答えだけは、共通しません。みんなそれぞれ自分なりの答えを自分の人生を賭けて作り出すしかないのです。

 

そして一人では解決がつきかねる時に同じ時間を共にしながら、「あなたの問題ではあるけれど、私の問題でもある」と一緒に考えていくことがカウンセリングなのではないか、と思っています。

 

<つづく>