「ほめること」は何をもたらすか  <3>

「ほめること」は何をもたらすか、3回目です。

 

「ほめられる」ことは希望です。

人にたくさんほめられた人は、いつか自分で自分をほめることができるようになる。

いつも叱られていると、いつか自分で自分を責める人になる。

 

「どうせ、ぼくなんて、わたしなんて、ダメに決まっている」と口に出している間はまだ良いのですが、口に出せなくなった時は本当につらい。

 

これも私の経験ですが、ネグレクトの子どもさんがいました。彼は遊びやスポーツなど何をやっても、負けることが認められない。勝たなければ、すぐに泣き出してしまうのでした。それは悔しいからではないのです。彼にとって負ける、ということは自分のダメさ、存在価値のなさを突きつけられるとしか思えなかったのでしょう。

 

その日も遊びに負けて泣きました。私は目立たないところに彼を連れて行って、泣いているそばで黙って座っていました。何を声かけても、彼の耳には入らない、そのぐらい号泣するのです。号泣を通り過ごして、慟哭のような鳴き声でした。

 

自らの運命と見捨てられた自分の価値のなさ、それでもそのことを母親に向かって口にはできない。ただの遊びでの敗北が一気に、それらの思いを吹きだせたかのような慟哭が1時間以上続いたのでした。

 

やはり人間は人に理解され、受け入れられ、認められ、ほめられ、愛されることが生きるエネルギーなのです。

 

「ほめる」「認める」「理解する」「受け入れる」ということは、決してその場をうまく収めるための方便ではなく、生きるエネルギーを生み出し、自分自身を支える体験を作り出しているのだ、と私は思います。