発達障害児を見る目について <3>

さて、昨日はいろいろなトラブルを障害に起因する問題か、性格・人格上の問題なのかどうかを見分けた方がよい、というような趣旨のことを書きました。

しかもそれはなかなか難しい問題でもある、ということも書きました。両者が影響しあって来てしまうためごっちゃになりやすい。しかし、やはり何とか見極めたい。

 

その時に考えなければならないのは、やはり「彼・彼女は、なぜそういう行動をとるのだろう?」という疑問を持つことでしょう。彼らの障害の特性と置かれた環境要因を考えに入れて考えたら、無理もないと思えれば、それは障害に起因する問題である可能性が高いでしょう。

 

しかし彼ら・彼女らの取った行動をよく見たときに、そこに何か「悪意」や「あくどさ」、あるいは「邪悪さ」みたいな影が横ぎった時は気を付ける必要があります。

 

たとえ発達障害があり、幼い頃から山ほどトラブルを抱えてきていても、周囲が愛と理解をもって育ててきてくれた場合は、世の中に対する信頼と安心感をもっている場合が多いように思います。

 

ところが残念ながら育った環境や周囲のケアに恵まれなかった場合、そこには世の中に対する「恨み」や「憎しみ」、妙な「さみしさ」「不純さ」を漂わしているものです。

 

もちろんそれは決して彼らの生まれつきのものではなく、むしろ劣悪な環境でも生き残るための「サヴァイヴァルの知恵」でもあるのですが、だからと言って問題行動や犯罪に走ることは許してはならないでしょう。

 

障害を持ったがために、生きづらくトラブル続きの毎日であったとしても、それをどう乗り越えていくか、そのために周囲が手を伸ばして愛と理解のあるサポートをできるかどうか。それによって成人以後の彼らの人生や生活の安寧がもたらされる、というのは言い過ぎでしょうか。

 

そのために「ほめる」「認める」ということは大事なのだと思っています。