さて、昨日は発達障害児に関わるときに、彼らの10年後、20年後を考えて自己評価を低くしてしまわないように「ほめる」ことが大切ではないか?と書きました。
ところが私も以前彼らと関わっていたのでよくわかりますが、どうしても注意や叱責ををせざるを得ないような状況を彼らは作り出してしまうのです。
ある意味それは当たり前です。なぜなら対人関係んせよ、集団行動にせよ、学習にせよ、それが周囲と比較してなじまないからこそ、障害というような診断名がつくのですから。
ですが、話を他の障害に置き換えてみるとわかりやすいのですが、視覚障害の人に「もっとよく見ろ!注意が足りない!!」、あるいは聴覚障害の人に「何を聞いているんだ!しっかり聞いとけ!」とは決して言わないでしょう。
それと同じで、対人関係の苦手な人、集団行動に苦手な人、学習において不都合がある人には、「視覚障害の人にとっての点字」「聴覚障害の人にとっての手話」と同じように、その障害や問題に対する固有のサポートを用意するのが本来なのです。
まずその努力を周囲が準備しないで、「わがままだ」「困った子だ」と批判するのは、障害に起因する問題を彼らの人格上の欠陥であるかのようにみなすことになってしまうのではないでしょうか。
目が見えないのは、見ようとする努力が足りないからではありません。音が聞こえないのは、人のいうことを聞く気がないわけではないでしょう。
同様に相手の気持ちがわからないのは、「人に対する思いやりゃやさしさが足りない」のとは違います。
集団に入れないのは、「自分勝手でわがまま」な性格だからではないでしょうね。
そこをごっちゃにしてしまうと、結局、発達障碍児の自己評価、自尊感情を傷つける結果に終わってしまうのではないか、障害に起因する問題と人格に起因する問題をごっちゃにしてはいけない、と思うのですが、いかがでしょうか?
ただ残念ながら、発達障害の場合、視覚障害や聴覚障害と比べ、問題が障害に起因するのか人格に起因するのかが非常にわかりづらいということです。
これについては、周囲の彼らに対する理解を深める、専門家の協力を得る等の対策が必要だとは言えるでしょうね。
では「ほめる」ということについてはどう考えればいいか、これについても少し考えてみます。
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