思春期における二つの自分  <2>

<目指せ!バカボンのパパ!>
<目指せ!バカボンのパパ!>

さて、もう一つの自分とは何か?ですが、一つ目にあげた自分が「外的な自分」であるとすると、二つ目は「内的な自分」とでもいうものです。具体的には、主体感、というか、自分はここにいる、という感覚ではないでしょうか。自立心といってもいいかな。

 

<1>であげた例を使うなら、外側の自分が「卵の殻」なら、内的な自分は「卵の身」。これがしっかり固まっていることが大切です。生卵は、中身が固まっていないから殻で形を保つしかないけれど、「固ゆで卵」は中身がしっかり固まっているので、むしろ「殻」なんてなくても大丈夫。

 

昔から「ハードボイルド」なんて言葉がありますが、あれは文字通り「固ゆで卵」のことですね。私はあの言葉の意味は「自立心」「自己存在感」ではないかと思っています。

 

私の好きなハードボイルド小説に、ロバート・B・パーカーという作家の、「私立探偵スペンサー」シリーズがあります。

その中での言葉に

 

「自立心だ。自分自身を頼りにする気持ちだ。自分以外の物事に必要以上に左右されないことだ」

 

というのがあります。

 

これでしょうね。自分の気持ちに正直に、細心の注意を払いながらも自信をもって生きること。これができるためには「主体感」「自己存在感」とでもいうようなものが必要です。

 

もっと簡単に言えば、

 

「これでいいのだ!」と言い切れるかどうか。そう考えれば、バカボンのパパは最高のハードボイルドですね。この「内的な自己」を育てていくのが思春期の第2の課題ではないか?と思っています。

 

如何でしょうか?