さて、もう一つの自分とは何か?ですが、一つ目にあげた自分が「外的な自分」であるとすると、二つ目は「内的な自分」とでもいうものです。具体的には、主体感、というか、自分はここにいる、という感覚ではないでしょうか。自立心といってもいいかな。
<1>であげた例を使うなら、外側の自分が「卵の殻」なら、内的な自分は「卵の身」。これがしっかり固まっていることが大切です。生卵は、中身が固まっていないから殻で形を保つしかないけれど、「固ゆで卵」は中身がしっかり固まっているので、むしろ「殻」なんてなくても大丈夫。
昔から「ハードボイルド」なんて言葉がありますが、あれは文字通り「固ゆで卵」のことですね。私はあの言葉の意味は「自立心」「自己存在感」ではないかと思っています。
私の好きなハードボイルド小説に、ロバート・B・パーカーという作家の、「私立探偵スペンサー」シリーズがあります。
その中での言葉に
「自立心だ。自分自身を頼りにする気持ちだ。自分以外の物事に必要以上に左右されないことだ」
というのがあります。
これでしょうね。自分の気持ちに正直に、細心の注意を払いながらも自信をもって生きること。これができるためには「主体感」「自己存在感」とでもいうようなものが必要です。
もっと簡単に言えば、
「これでいいのだ!」と言い切れるかどうか。そう考えれば、バカボンのパパは最高のハードボイルドですね。この「内的な自己」を育てていくのが思春期の第2の課題ではないか?と思っています。
如何でしょうか?
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