思春期における二つの自分  <1>

今日は、ここ数日のアスペルガーやカサンドラ症候群の話からちょっと離れて、思春期の話を。

小4ぐらいから思春期というものが始まるといわれます。この思春期というやつは本当に渦のようなもので、飲み込まれてしまうと目が回り、方向性を失ってどこに向かってどう立てばいいのか、わからなくなってしまいます。

 

そんな時に私はいつもこういうイメージを持ちます。

つまり卵を自立させるにはどうすればよいか?です。

生卵を自立させるには、まず外側の「殻」は絶対必要ですね。殻があるから形が保てる。

つまり思春期の内面を柔らかい卵だとしたら、それを形づくる「殻」は絶対必要なのです。つまりそれが、いわゆる社会的なアイデンティティ。

 

例えば、「私は中学生である」とか「僕は野球部員だ」とか。不登校などで、どちらもすぐに手に入らない場合は、「私は何々家の娘だ」「両親の息子だ」でもいいんです。つまり自分を位置付ける立場が必要。

 

そう考えると、例えば不登校の場合、両親や家庭が上手くいっていることが、自分の立場の安心感につながるのです。

 

私はそれが「一つ目の自分」=「外側の自分」だと思っています。

 

安心できる「殻」=「外側の自分」に守られて、形を保ち、そして卵の下に塩や砂糖などの、何か安定を助けてくれ、生活に味わいを与えてくれる調味料のような味方がいれば、生卵でも自立させることができます。

 

味方というのは、たとえば友達とか、気楽に話せる先生、場合によっては、カウンセラーなどでしょう。上手く助けてもらったり、使うことができれば卵は安定します。

 

しかしできれば、手助けなしにでも自立できればいうことはありません。そのためにはどうすればよいでしょうか?

 

それはまた明日。