いじめから考えたこと ④ ~自分の満足のために~

いじめからかんがえたこと、というタイトルで「邪悪性」というものについて考えています。

今日は「邪悪さ」の目的としてやはり、「自分の満足のために」ということを考えます。

 

行動の大半は目的があるわけですが、他人の生命や人権まで傷つけるような行為の目的はやはり、相手との関係においては「相手を支配する」こと、あるいは自分自身の「万能感」を満たすため、あるいは周囲との関係において自分が相手を「支配できる力を持っていること」を誇示する、ということではないでしょうか。

 

何か復讐目的や利害関係だけではなく、そこには「歪んだ自己愛」というものが関係してるようです。

 

そういう意味で最近取り上げられる「サイコパス」と呼ばれる人が「自己愛人格障害」と関連付けられるのもわかります。

 

相手を犠牲にすることによってしか自分の万能感を満たすことができないという状態は、幼児的な自己中心性に振り回されているのでしょうね。

自分自身を客観的に受け止められない、という意味で自分の弱さを相手に投影していじめることでかりそめの満足感を得ているのだと言い直すことができるかもしれません。