ささえる ことば <62> 「我々にはアイデンティティがある」 ザッケローニ監督

こういうことばをこんなところで耳にするとは思ってもみませんでした。


 「我々には、我々のアイデンティティがあり、それを貫き通さないといけない」

 

もちろん、ウルグアイに負けた配線の将、ザッケローニ監督の試合後の言葉です。

 

ウルグアイ戦後には、大量失点を喫したことから記者による守備に関わる質問が相次いだらしいのですが、ザッケローニ監督は守備的な戦術に舵を切ることは明確に否定してこういわれたのです。

「我々には、我々のアイデンティティがあり、それを貫き通さないといけない」

 

なるほど。

こういう時に使うのだ、アイデンティティという言葉は。

 

我々心理のものがこの言葉を使う時、どうしても思春期の発達テーマなんて簡単に言いますが、それだけではないのですよね。

大人になってもピンチを迎え、自分に対する自信が揺らぎそうになった時、

「私には私のアイデンティティがある。それを貫き通さなければいけない」と言えるでしょうか?

 

なかなか言えませんよ、この言葉。

いや、むしろそう言えなければ西洋人の間では「なんと情けない奴!」と思われてしまうのかも。

 

イギリスにしてもフランスにしてもヨーロッパの国々には固有の歴史があり、隣国との戦いを通じて、「絶対に譲れないものがある」という感覚を持って居るような気がします。サッカーに関してだけでなく、日本には日本人の、また私には私の譲れないプライドみたいなものを持つことは、これから必要になってくるでしょうね。

 

ただし、自分だけが世界の中心であるというような偏狭な自己中心的なアイデンティティではなく、他者のアイデンティティも認めながら、交渉とより良い関係を目指した交流ができるコミュニケーション能力が大切になってくるのではないでしょうか。

 

さて、これから日本のサッカーチームはどういうアイデンティティを築き上げていくのか?ちょっと批判されてすぐ揺らぐようなものはアイデンティティとしては弱すぎるかも!?