生きるということは物語をつくること:久々にこころから泣けた映画「ツナグ」

久々にこころから泣ける映画に出会いました。

「ツナグ」

彼らは、死者と生者を媒介する能力を代々伝え続ける使者なのです。

 

人の一生の中で多くの別れを経験します。

そういう意味では「サヨナラだけが人生さ」なのですが、

しかし別れた後も生者は生き続けなければいけません。

 

別れが今後の人生の支えになりうるような物語として人々のこころの中におさまることができるかどうか、これは人生の大きな分岐点ではないでしょうか。(続きはブログで・・・)

 

 

 

昔、河合隼雄さんがこういう話を本に書いていました。

 

自分の恋人が交通事故に遭って死んでしまった。

恋人はその知らせを聞いて

「なぜ、恋人が死ななければいけないの?」

「しかもなぜ私の恋人が?」

 

こういう問いは恋人が亡くなる、という事実を受け入れられない時に発せられるこころからの問いなのでしょうが、それにどう答えることができるでしょう?

 

「それは出血多量だったからです」

そんなことを聞いているのではありません。

「相手の車が前方不注意だったからです」

これも違いますね。

 

そうではなくて、

「なぜ、今、よりにもよって私の恋人がこんな目に遭わなければいけないのだろう?」という、ある意味運命の理不尽さへの怒りなのです。科学的な答えを求めているわけではないでしょう。

 

そういう問いが発せられた時、求められている答えは、問いを発したご本人にとってその出来事が哀しいけれど自分の人生の中で出会う必要のある出来事だったのだ、と意味のある物語を作り上げた時に初めて出会い納得の行く答えになるのだろうと思います。

 

そういう意味で人は自分の人生の物語を紡ぎあげていく存在なのです。

 

「ツナグ」は、そういう物語を作り上げるお手伝いをしているともいえます。

決してハッピーエンド出終わるとは限らない、むしろかえって哀しみを深くすることになるかもしれないけれど、それはそれで自分の人生にとって意味のある出会いなのだ、と思えた時、

哀しい「別れ」が次の「生きる支え」になるのでしょう。

 

私はそう思いました。