福原愛選手をめぐって考えたこと

福原愛選手と言えば、卓球の団体戦で悲願のメダルを手に入れましたね。

 

これまでもその実力は高く評価されながらも、なかなか結果が出ずに苦しんできたようです。

その経過について、あるコラムで次のようなことが書かれていました。

それは・・・・・

 

福原選手が念願のある大きな大会で優勝を成し遂げた時のことです。

その優勝カップを笑顔で高く掲げて欲しい、とカメラマンが要求したとのことです。

 

これは当たり前と言え当たり前ですよね。

なかなか手に入れられなかった念願の結果を手にいれた喜びを写真に取りたかったカメラマンの要求が行きすぎだとは思えません。

 

しかしその時、福原選手は、その要求を拒否したのだそうです。

そして後からその拒否の理由を聞かれた時、彼女からはこういう答えが返ってきました。

 

「だって、勝てない悔しさを誰よりもわかっているのは私ですから。負けた選手たちのことを思うと……」

 

この福原選手の返事は痛いほど伝わってきます。

今回、オリンピックでメダルを手に入れ、笑顔で帰国する選手たち。

しかしその画面に映らないすぐ横には、同じようにメダルを手にいれるために4年間努力をしてきながら

思いがかなわず、期待を裏切ったかのような言い方をされる選手もいたはずです。

 

そんな甘いことを言っていたら、勝負に勝てるわけがない、

勝負は勝利こそ全てだし、勝った選手以外はみな負けているのだから

いちいちそんなことを気にしていたらスポーツなんてできない、と言う声も聞こえてきます。

 

しかし一方で、勝った選手以外はみな、持って行きようのない哀しみと罪悪感と絶望感を味わっているのも事実。

中にはそれで引退を決意した選手もきっといるのではないでしょうか。

甘い、と言われるのを承知で、私は「負けた選手」の方に立ちたいという気持ちになるのでした。

 

仕方がない、とはいえ・・・・・。