物語の持つ力

物語といえば、童話や昔話などを思い浮かべる方もいらっしゃるかも知れませんね。また、神話や宗教の説話などを考えてみてもわかるように、どうやら人間と言うのは物語を作らずにはいられないようです。

 

例えば、今国民的議論を巻き起こしている原子力発電を取り上げてみても、「想定外の自然災害」という言葉が使われたりします。と、言うことは逆に言えば、「こんな巨大な地震や自然災害はまさか来ないだろう」という安全神話が出来上がっていたと言うことです。

 

また最近ニュースで取り上げられている「いじめ」の問題も・・・・・

また最近ニュースで取り上げられている「いじめ」の問題も「犯罪」と言わず「いじめ」という言い方で、なにか子どもの悪ふざけの延長であるかのようなイメージ担ってしまい、「たいしたことではないだろう」「そのうち収まるだろう」「下手に介入すれば、もっと事態は悪化するのではないか」などという都合のよい物語が作られてしまいます。

 

最初に書いたとおり、物語を作らざるを得ないのは人間の常なのでしょうが、問題はそのつくった本人が「これはひょっとして自分の作り上げた物語ではないか」という冷静な目を持てなくなってしまうことでしょう。物語にどっぷりつかってしまっていては、いつの間にか現実から離れてしまいます。「これは自分の作り上げた物語ではないか」という自己を見つめる客観的な目を持って、それを意識化・言語化して現実から離れてしまわないようにすることが大切なのではないでしょうか。

 

カウンセリングにこられる方は、ある意味自分の作り上げた物語に苦しめられてしまっていることが多いようです。そして自分を客観的に見つめることが出来にくくなり、カウンセラーという第3者の客観的な目を借りて自分自身の新たな可能性・新たな物語作りに取り組まれていくのだと思っています。