象徴的なものの見方について

いよいよ梅雨の季節に入りましたね。

今週はどうやら台風の影響もあり、雨模様の日が続きそうです。

 

雨が降ると、庭の木々が喜びます。

なんだか葉っぱの色や勢いが違います。

喜んでいるのでしょうね。

 

彼らにとって雨や水というのは生命力そのものですね。

ところが・・・・

ところが、雨も長引いたり激しく降り続くと河川の氾濫や土砂崩れを招いたりして、

今度は生命を奪い取るような事態を招く原因にもなります。

つまり「死」の意味合いも出てくるのです。

 

このように「水」といっても一口にその意味を言い表すことはできません。

 

たとえば海の水を考えた場合はどうでしょう。

「水上からは見えないが、水面下では色々なものが動いている」という意味で

『無意識』の意味で使われることもよくあります。

 

また私たちが植木や花に水をあげる時、言葉にはしないかもしれませんが

「はやく大きくなってネ」という気持ちで上げることが多いでしょう。そういう意味では、この場合の水は「愛情」の意味合いだと思います。

 

またのどが渇いたときのコップ一杯の水は、なにより「潤い」と「生き生きと自分らしく生きるためのエネルギー」ともなります。

 

このように、たとえば「水」が夢やイメージの表現に登場した場合、その文脈や状況によってどういう意味で「水」を理解すればぴったり来るか、想像力をもとにいろいろ考えなければ本当の意味が伝わってきません。

 

こういう意味の捉え方を「象徴的な理解」と言います。

ユング心理学によるカウンセリングでは、この「象徴的な理解」を使って、その裏に潜む本当のメッセージを受け取る営みをします。

 

そのために相談者とカウンセラーが一緒に夢や箱庭をめぐって対話をする必要があるのです。